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『・・・のう、おぬし、イルカから紫陽花の話を聞いたか?』 火影の執務室を後にしようとした時。ふと 自分の漏らした何気ない一言に、火影は言った。 火影の口から出た、今ここで話題となるべくも無い人物の名に、カカシは思わず瞠目する。 『何故・・・』 『――――その話をな、イルカに教えたのは わしじゃ』 『・・・!』 『両親を亡くしての、あやつは、不器用な子じゃった。 皆の前では強がって振舞っているくせに、いつも物陰に隠れて、ひとり 泣くんじゃ。そんなあやつが不憫で、』 救って、やりたくての。 『・・・紫陽花の話を、したんじゃよ。全くの作り話を。』 ―――それは、イルカが、自分の前だけでは、涙を隠さぬように。 自分が、イルカと悲しみを分かち合えるように。 イルカに、お前は一人ではないと 教えたかった。 『そして、言うたんじゃ。“お前に大切な人が出来たら、その人がもし 泣けずに苦しんでいたなら、 お前が救ってやりたいと思ったのなら この話をしてやりなさい”とな』 背を向けたままで火影の言葉を聞くカカシ。 火影の方からは、彼の顔に被さった銀髪で、カカシの表情は窺えなかったが。 『・・・のう、カカシよ』 火影は静かに言葉を紡いだ。 『―――人とは、ほんに、難しい生き物じゃな。・・・大切なものへと辿り着くまでに、幾つも、幾つも回り道をしてしまう』 あやつも、昔からそうじゃったよ。しかしな、 『・・・どれだけ時間がかかっても、あやつは、必ず自分で自分のあるべき場所を見つけ出しおった。 必ず最後に、自分の力で探し出しおったんじゃ。 ―――――おぬしが里へと帰って来る頃には、きっと何かが変わっておろう。わしは、そう思うがな』 だからな、カカシ。 きっと帰って来い。そうして、自分の目で 最後まで見届けよ。 雨天の都 6 再び、薄い雲によって月が隠され、絹糸のような雨が 細く、細く降り出した。 ―――――深くなった闇の中から、一人の男が現れる。 上背はカカシほどあろうか。 がしりとした体躯を持つその男は、身に着けた藤色の着物をはためかせ、闇からゆっくりと形を成してゆく。 ふわりと着込んだ長い藤色の着物の下から、白い袴が覗いた。 襟元に、御魂を模った紋が縫い取られている。 腰に 山伏の様な飾り玉が揺れるのが見えた。 闇から最後に現れたのは、男の腰まで届く長髪。 夜と同化していた見事な濃紫の髪は、闇からのたうちながら這い出し、ばさりと男の背に掛かる。 辺りに立ち込める気の流れが明らかに変わった。 成る程、この男 できる。 「・・・藤隠れの里召喚技師、紫檀殿とお見受けする」 「いかにも。――――それは私です」 男が に、と笑った。 年の頃は30前後か。やけに白い顔が、不気味だ。 「・・・宝刀奪還のご視察ですか?里長が態々こんな所まで・・・オレたち木ノ葉も舐められたもんだね」 カカシが男を睨み付けながら問う。 その視線に、男―――紫檀は、すぅ、と目を細めた。 「―――またまた・・・もうとっくにご存知の筈でしょう?宝刀は盗み出されたりなんかしちゃいません。 何故なら、先刻の男たちに木ノ葉から宝刀を奪うように指示したのは私ですからな」 ・・・やはりか。 途端、紫檀の周りを 潜んでいた5人の暗部がぐるりと取り囲んだ。 草一つ揺らさず現れた忍達に、紫檀は全く臆する事無く腕を組み、ゆったりと笑む。 「流石木ノ葉。五大国一の隠れ里だと言うだけはある。実に粒揃いの良い集団だ。 ・・・そして、あなたが」 紫檀がゆるりと視線をカカシに向け直す。 闇の様なその目には 鋭い光が灯っていた。 「――――木ノ葉の誇る“写輪眼のカカシ”というわけですか」 カカシは ふんと鼻を鳴らした。 「その木ノ葉に攻め入ろうとしている命知らずは誰でしたっけねぇ。・・・どうでもいいけど、あんた、少しやりすぎじゃないの? さっきの部隊といい、あんたといい。そこまで派手に動いちゃ、流石の馬鹿な大名たちも、他里の奴等も あんたたちのやってる事に気付くんじゃない」 「――――――あぁ、その事でしたらご心配なく」 紫檀はにこりと笑って、軽く組んでいた腕を下ろし、髪を掻き上げた。 着物に染み付いた香の匂いが密かに漂う。 「あなた達には、一人残らず、里へ戻って頂く気はありませんから。ここで死んで頂きますね」 ね、だってこれ以上の正当な理由は無いでしょう? 木ノ葉の忍が、援護に向かった 我ら藤隠れの部隊を敵だと誤認して全滅させてしまう。 我が里は悲しみにくれて、木ノ葉へと報復に向かう。 「・・・あぁ。そうだ」 ――――折角だから、私にも一つくらい傷をつけてから死んで下さいね。 「・・・御託はいい加減にしろよ、このまやかし使いが」 カカシが炎のような怒気をまともに紫檀にぶつけた。 一般人なら失神してしまうであろうそれに紫檀は臆する事無く、ふふ、と一笑すると、 「――――まやかしかどうか、試してみなさいな」 そう言って、目をゆっくりと見開いた。 瞬間、カカシと紫檀を中心に、ゴゥ、と疾風が渦巻き、天へ向けて木の葉や塵を吹き上げる。 長い紫の髪を、風に舞わせ、紫檀が唇を歪ませた。 さぁ、 「木ノ葉の頂上の力、見せて頂く!!!」 そう言って紫檀は目にも留まらぬ速さで何事かを唱えた。 異国の呪言。 それと同時に、カカシの第六感にピンと引っ掛かる嫌な感覚が襲った。 背筋が凍る様な、おぞましい感覚。 「伏せろ!!!」 カカシが絶叫したのと、空気が大きく振動し、大気が切り裂かれたのが同時だった。 ガアアアアアアァァッ!!!!! 突如、鼓膜を突き破る様な咆哮が響く。 空に閃く群青の鱗。 紫檀を守る様に空中に姿を現したそれは、身の丈60尺はあろうかという、巨大な水龍だった。 「――――――!!!」 これが、召喚技師の力・・・!! とぐろを巻く水龍に護られる様にしながら、紫檀がゆったりと腕を組む。 「水の気が充満していますのでね。水と相性の良い彼にお相手願いましょうか」 紫檀が更に呪を紡ぐ。 白い手を閃かせると、水龍はそれを待ち望んでいたかの如く、身を翻した。 巨大な身体が真っ直ぐカカシに突っ込んで来る。 咄嗟に跳躍して避けたが、間伐入れず 撓った長い尾部に吹き飛ばされた。 「く・・・!!」 泥濘に投げ出され、一瞬反応が鈍った。その瞬間、 「危ない、避け――――!!!」 一瞬の出来事だった。 目にも留まらぬ速さで空を舞った水龍の顎が、背後の暗部2人を同時に飲み込むのが見えた。 次の瞬間、上半身を無くした躯が2つ、どう、と泥の中に倒れ込む。 「くっ―――――!!!」 咄嗟に体勢を立て直し、空いた左手で長い印を組む。 利き手に長刀を握り、真っ直ぐ龍の懐へと走り込んだ。 咆哮を上げて鎌首を擡げた水龍に向け、左手に集めた巨大なチャクラを、捻り込む様に叩き付ける。 「――――――雷切!!!」 グアアアアアアァァ!!! 首に巨大な破壊の力を受け、龍の首から胴体にかけての肉が大きく抉られ飛び散った。 左手を振り切ったカカシの背後から、猶も怒り狂った龍の攻撃が飛ぶ。 それを、片脚を軸に遠心力をつけて大きく回転し、右手に持つ長刀で斬りつける事で相殺した。 眉間を斬られ、一瞬水龍が怯む。 だが衝撃で愛刀が真っ二つに折れ、刃先が宙を舞った。 「はあああああっ!!!!」 龍の死角から、部隊の暗部3人が間伐入れずに斬りかかる。 のたうつ胴体を巧みに交わしながら、その巨体を傷付けんとするが、硬い鱗に覆われた身体には 思う様にダメージを与えられない。 「ほう、あれが雷切・・・」 未だ傷一つ受けない紫檀が、目を見開いて悠然と呟く。 「流石、木ノ葉の暗部と言ったところでしょうか・・・。でも、そう逃げ回られると厄介ですのでね」 カカシが視界の端で、また呪を唱え始める紫檀を捕らえた。 何事かと身構えた瞬間、 「な・・・!!」 「うわ!!」 「―――!!!」 雨をたっぷりと吸い、ぬかるんだ地面から天へ向けて 無数の水蛇が飛び出して来た。 そのあまりの数に、泥に塗れた地面が白く染まる。 数百に及ぼうかというその蛇は、カカシ達の身体に群がり、巻き付いた。 「くそ!」 手刀で叩き落し、刀で切り付けするが、蛇は傷付けられると ばしゃ、と水へと戻り、代わりに新しい蛇が後から後から巻き付いて来る。 とうとうカカシ達は 身体に無数に巻き付いた蛇により 地面へと引き倒された。 「く・・・っ」 「ふふ・・・これで漸く、大人しくなりましたね」 水龍に身を寄せて、紫檀が目を細める。 身動きの取れないカカシ達を、至極楽しそうに見下ろした。 「でもまぁ、良くやりましたよ。ここまで粘ったのは流石です。 ・・・でも、そろそろ 雨も小降りになって来ましたし・・・彼も、休ませてやりたいのでね」 紫檀の傍らで水龍がガアアァと咆哮する。 紫檀の指の一振りで、龍は最も近くに倒れていた暗部一人の首を、事も無げに喰い千切った。 「・・・さぁ。次は誰にしますか?」 紫檀が不適に笑んだ。 ――――・・・ カカシがちら、と 近くに倒れる暗部の一人に目配せをする。 軽く首を一振りすると、その暗部は小さく頷いた。 次の瞬間 「火遁、濠爆壁!!!!!」 カカシが虚空に向かって叫んだ。 途端、ゴオオオォォッと熱気が大地を揺るがしたかと思うと、地面に幾筋もの巨大な炎の柱が立ち上がる。 ギャアアアアァァァァ!!!! その熱気に、水龍が水蒸気となって蒸発した。 カカシ達を戒めていた蛇も、跡形も無く消滅する。 「――――――な・・・!!!」 濛々とした水蒸気に包まれる中で、紫檀がたじろいだ。 その一瞬の隙を突き、自由になった暗部の一人が紫檀へと斬りかかる。 「―――!!!」 手応えがあった、と感じた瞬間、その暗部の持つ刀に激しい衝撃が走った。 「ぎゃあぁぁっ!!!」 一瞬の内に、炭の塊となって崩れ落ちた仲間を見、カカシが舌打ちをする。 「き・・・貴様あ!!よくも、水龍を・・・!!!」 憤怒の表情で肩口を押さえて此方を睨みつけて来る紫檀。 先程の余裕は何処かへと霧散してしまっていた。 ・・・代わりに、怒りに打ち震える紫檀の横に現れたのは、黄金の身体を持つ鬼であった。 身体中に稲妻を纏わり付かせ、真っ赤な目を此方へと向けている。 今にも飛び掛らんばかりの表情。 「ふ・・・水龍を倒して見せたのは、あなたたちが初めてですよ・・・私に2つ以上の式を使わせたのもね。 ――――全く木ノ葉とは憎らしい・・・」 ふ、ふ・・・と肩で息をしながらも、辛うじて理性を戻した紫檀が怒りも露に、口の端を吊り上げた。 「だが、これで終わりにしてやる!!!」 紫檀が叫ぶと共に、雷鬼が咆哮した。 身体中から発せられている雷の気で、幾筋も皮膚が割かれる。 ――――此方の部隊は、自分を含め、残り二人。 もう一人は水龍との戦いで左腹を裂かれ、満足な動きは期待できない。 自分は重傷は負っていないが、先程発動した二つの大技と、ずっと維持し続けてきた影分身で、チャクラ的には限界が近い。 ・・・圧倒的に不利だ。 ――――だが。 カカシには、先程から気になっていることがあった。 一つは、先程から紫檀が召喚する獣について。もう一つは、斬りかかられた時の紫檀の反応。 ・・・もし、自分の考えが正しければ 勝機は、こちらにある。 雷鬼が、雲を纏って疾風の様に飛んで来た。 腕を一振りすると、そこからまるで鞭の様に稲妻が撓って伸びる。 それの命中した背後の大木は、見る間に炎に包まれ、崩れ去った。 (これに直に触れるのは、危険だ・・・) 瞬時にそう判断したカカシは、右脇に差していた宝刀を引き抜いた。 しゃら、と刀と鞘を繋げていた飾り紐が音を立てて切れる。 鞘から現れたのは、一点の曇りも無い、見事な一振りの太刀。 『宝刀』と呼ばれるに相応しいそれに、迷い無くカカシは己のチャクラを纏わせた。 具現化される程に凝縮されたそれは、輝く宝刀の刃面でチリチリと音を立てる。 そのまま、地面に片膝を付いた仲間と雷鬼との間に踊り込み、雷鬼の稲妻の腕を宝刀で受け止めた。 掛けられる尋常では無い圧力に、宝刀を押さえる両腕が悲鳴を上げ、血が噴き出す。 額に玉のような汗が幾つも浮かんだ。 雷鬼は一度後ろへ飛び退り、再び疾風の速さで攻撃を仕掛けて来た。 カカシは再び宝刀で受け止める。 宝刀は、まるで自分に組するかの様に しっくりと自分の手に馴染んで滑らかに動いた。 「!それは、兄者の・・・!!」 その様子を見ていた紫檀が顔色を変える。 「貴様・・・っ!!!宝刀までも抜くとは!!!木ノ葉の忍は依頼に従わぬのか!」 その怒声に、雷鬼が力を増す。 牙を剥いてゴオォォと襲い来る雷炎に、カカシは宝刀が僅かに光を帯びたような気がした。 そのまま、全力で鬼の攻撃を受け止める。腕が軋んで折れるかと思ったが、何故か思ったよりは衝撃は小さかった。 まるで宝刀が、衝撃を吸収したかの様に。 何故だか、カカシはそのとき、その刀が紫檀を止めようとしているかの様に思えた。 キィン!! 澄みきった音を立てて、宝刀の刃が折れる。切っ先が、雷鬼の片目を掠めた。 ギャアァ!! 不意を衝かれ、慌てて黄金の鬼が飛び退いた。 紫檀が拳を震わせて叫ぶ。 「何たる事!!貴様、里主に何と言い訳をするつもりか!!!」 カカシは息を整えながら紫檀を見遣った。 「・・・残念ながら、オレの請負った任務は『宝刀の奪還』ではないんでね」 そっちの方は、上忍達の仕事なの。 その言葉に、紫檀は怒りで真っ赤に充血した目を見開いた。 「どこまで貴様らは・・・私を愚弄するのかぁっ!!!!!」 今度こそ、終わりだ・・・!!!! 紫檀が、天に両掌を翳した。 それにまるで力を与えられたかの様に、雷鬼が打ち震え、天に向かって雄叫びを上げた。 同時に、恐ろしい程の気が、鬼の周りから四方へと撒き散らされる。 「稲妻で焼き殺してしまえ―――――!!!!」 紫檀の両手が振り下ろされた。 途端、弾かれた様に雷鬼がカカシ目掛けて飛び込んで来る。 先刻とは段違いのスピード。 それを目にする前に、カカシは「両手で」長い印を組み始めた。 カカシの印を目にした紫檀が、般若の形相でせせら笑う。 「無駄だ!!!貴様の雷切は先程既に見切ったわ!!!!」 カカシの懐に真っ直ぐ向かって来る雷鬼を押し止めるかの様に、残っていた暗部が飛び込んで来た。 雷鬼に向けて術を発動させたが、猛り狂って力を増した鬼の雷を殺す事は出来ず、そのまま防ぐ暇も無く稲妻に貫かれて燃え尽きる。 それを視界の端で捕らえ、カカシは印を完成させた。 握り締める拳に、今度こそ渾身の力を込める。 「無駄かどうか・・・よく見てろ!!!」 雷鬼の一瞬の隙を突き、カカシは掌底を鬼の顔面に叩き込んだ。 ――――――――雷切!!!!!!!!! 刹那、辺りが真っ白な光に包まれた。 チリチリと大気を震わす音が次第に大きくなり、弾ける。 ドオオオオオオォォンという凄まじい爆発音を響かせて大地が振動する。 爆風に周りの木々が薙ぎ倒されんばかりに傾いだ。 は・・・はぁ・・・は・・・ 「――――――な・・・何・・・!?」 再び襲った暗闇に目が慣れた時、紫檀が目にしたのは、大きく抉られた地面の中央に立って肩で息をしているカカシだった。 「な・・・何故だ!!!!貴様の技は、既に見切ったはず・・・」 その言葉に、カカシはふっと笑った。 「残念でした・・・あんた、宗教家のくせに 自分が見事に騙されたね」 最初にあんたが見たのは、雷切なんかじゃないよ。 あれは只の、雷遁。 「片手で組んだ印では、あれくらいが精一杯。けど、本当の雷切は、雷を切る。 あんたもそれくらいは、知ってるでショ?」 雷でオレに挑もうだなんて、身の程知らずにも程があるよ。 カカシは、怒りを通り越して真っ青になっている紫檀を見遣り、ごきごきと肩を鳴らした。 「さぁ・・・じゃあ次は、こっちから行かせて貰おうかな」 「何を小癪な!!!大方、今ので全てのチャクラを使い切ったというところであろうが!! チャクラのない貴様など恐るるに足りぬわ!」 再び呪文を唱えようとした紫檀は、自分の異変に気付く。 「・・・な―――――――!!?」 「でないでしょ?あんたの召喚獣」 カカシの言葉に、額に汗を浮かべた紫檀が後ずさる。 「な・・・貴様、一体・・・!?」 カカシはにっこりと笑って言った。 「別にオレはな〜んにもしてないよ?あんたが勝手に消耗しただけだ」 「な・・・・んだと!?」 「やっぱり自分で気付いてなかったね、あんた。あんた、自分の技に溺れて、肝心な事を見落としたんだ」 紫檀が召喚した“龍”に“白蛇”、そして“鬼”。 これらは全て、口寄せに於いて呼び出すのは不可能、若しくは困難な幻獣である。 その理由は、一つには、非常にプライドが高く、高潔な生物である為。 そして、現世を住処としないもの達である為である。 その生物を、何の代償も無く 自らに組させることが出来るとは考え難かった。 ・・・だとすれば、答えは一つ。 紫檀は、チャクラでは無く、何かそれに相当する他の力を幻獣に与えて、呼び出しているのではないか、とカカシは考えた。 また、最初に召喚した水龍や水蛇と比べ、雷鬼を呼び出したときの紫檀は、明らかに消耗しており、 また、技の規模も小さくなっているように感じられた。 そこから、カカシは 紫檀が与えている何らかの「力」は、消耗するものだと考えた。 だとすれば、紫檀が力を使い切るまで此方が粘れば、勝利は木ノ葉のもの。 「――――あんた、『自分に2体以上の式を使わせたのは初めてだ』って言ったよね。 大方、自分の限界なんて感じた事もなかったんだろ」 じわじわと距離を詰めるカカシに、紫檀は後ずさりながらも叫んだ。 「・・・だとすれば、どうした!!貴様の方こそ、チャクラが底を尽いているではないか!!! そんな状態で何が出来る・・・」 はっ、と言葉を切った紫檀に、カカシはすぅ、と目を細めた。 「―――――馬鹿だね。そうだよ、それを狙ってたんじゃない」 たん、と地面を蹴ったカカシは、瞬く間に紫檀の眼前へと降り立つ。 ひ・・・!と悲鳴を上げて逃げ出そうとする紫檀の襟首を掴み、事も無げに空中へ放り投げた。 抵抗する事も出来ず、紫の着物と髪が宙を舞う。 ――――そう、カカシのもう一つの考えとは、これだった。 暗部に紫檀が切りつけられたときにふと、閃いたこと。 普段は強い幻獣達に護られている為 敵が触れる事の出来ない術師は、 体術などの接近戦に対して、全く経験を持たないのでは、ということだった。 軽く膝を曲げて、一瞬の内に空中で紫檀に追いつくと、その腹目掛けて 真っ直ぐに拳を突き入れる。 紫檀の身体が衝撃にぐにゃりと曲がり、ごぼ、と口からどす黒い血が噴かれた。 勢い付いて地面に叩き付けられたその身体を、カカシは容赦無く蹴り上げる。 「ぐわあああああぁぁっつ!!!!!」 肋骨の折れた音をめり込んだ足先で確認し、カカシはそのまま紫檀の首に手を掛けた。 「・・・向こうで、苦しませたあいつらに謝ってよね」 そういうと、ぐい、と首を捻った。あらぬ方向へ向いた首が、ごきりと嫌な音を立てる。 ――――そしてそれっきり、紫檀は動かなくなった。 豊かな濃紫の髪が、彼の死に顔を隠していた。 地に倒れ臥して動かない強敵をじっと見詰め、カカシはゆっくりと溜息を吐いた。 ―――――強かった。 「・・・あんた、その力をもっと他の事に使えたらよかったのにね」 紫檀の腰に付いた飾り玉の一つを取り、カカシは残りの躯を炎で包んだ。 闇の中に、吸い込まれて行く白い煙。幾ら嗅いでもこの臭いには慣れる事は無い。 カカシは指笛を吹いて待機させていた忍犬を呼ぶと、すぐさま木の葉へと走らせた。 ・・・じきに、処理班が到着するだろう・・・ その臭いから一刻も早く離れたくて、カカシは地面を一蹴りして森へと飛び込んだ。 そのまま、木々を蹴って少しでも離れんと駆ける。 生還したのは、自分一人だった。 そのことに、今更ながら深い疲労を覚え、足元がふらつく。 すぐにでも何処かへへたり込んでしまいたい様な深い倦怠感に、自然と足取りが重くなった。 ・・・ほら、まただ。こんなに仲間が死んだのに。 ――――――オレは何にも感じない。涙なんて流れない。 ・・・だが、なんだ。 さっきから、やたらと視界に入って苛つかせるものがある。・・・この色。なんだ。 散漫になる思考に、苛立たしげに毟り取った暗部の仮面。 途端に、視界が広くなり、カカシは視界の端で、はっきりと「それ」の姿を捉えた。 「――――――――っ・・・!」 森の闇の中で、薄明かりに浮かび上がるそれ。 木々に隠れながら其処彼処に花開くそれは、見事な紫陽花の群落であった。 雨を吸って真っ青な 蒼い藍い紫陽花。 「・・・泣けない 女、・・・」 思わずカカシの唇が小さく言葉を紡いだ。 『―――――紫陽花の花が、お好きなんですか?』 ・・・一年前、アカデミーの前に群生する紫陽花の前で 屈み込んだ自分に掛けられた言葉。 その日も、雨が降っていた。 カカシは、任務からの帰りだった。 大規模な戦があり、自分の盟友も多く 死んだその日。 暗部の衣装から、雨に流されて地面へと吸い込まれてゆく返り血。 さぞかし凄惨な出で立ちであろう自分に、臆する事も無くそのアカデミー教師は話し掛けて来た。 その人物の事は、よく見知っていた。 渋々引き受けた下忍の教育係。その部下の一人から、厭という程毎日聞かされている名前――――うみの イルカ。 授業の帰りなのだろうか。 片手に書類を纏めて持ち、高く括った黒髪を揺らせて。 鼻を一文字に走る傷が特徴的なその中忍は、何の躊躇も無く 自らの隣に歩を進めて来た。 ・・・気が 昂ぶっていた。 自らの身体が針の筵で包まれているかの様に、存在する全てのものを拒絶する感覚。 苛々とささくれた心は、外界全てを締め出そうとしていた。 その自分の射程範囲にあっさり立ち入った中忍。 ―――――隙在らば、切り殺してやろうと思っていた。 ・・・だが、イルカはそれきり何も話し掛けて来なかった。 ただ、じっと カカシの隣で紫陽花を見詰めるだけ。 暫く共に紫陽花を眺めている内に、カカシは心がいつの間にか静まっているのを感じた。 ・・・なんだ・・・変な、奴だ。 ちら、と傍らに立ち尽くすイルカを盗み見ると、イルカは傘も差さずに紫陽花を注視していた。 何かをじっと考え込むかの様に。 その表情は、真っ直ぐで、澄んだ漆黒の眼にカカシは目を奪われた。 『・・・カカシ先生、こんな話、知っていますか?』 突然イルカの口から漏らされた言葉。 『―――――昔ね、一人の女の人がいたんですって。 彼女は、“涙”というものを知らなかった。・・・泣けない女だった。 ・・・ある日ね、彼女の愛する人が戦で命を落とすんです。 彼女は悲しくて悲しくて、でも、泣く事が出来なくて。 けれど、身の内の悲しみは内側から溢れんばかりに膨らんで彼女を飲み込んだ。 身を焦がす悲しみに、けれど、その悲しみを外へと出せなかった彼女は、紫陽花の花へと姿を変えた というんです』 紫陽花が雨で色を変えるのは、泣けない彼女を「雨」がまるで涙の様に濡らし、それに彼女が呼応しているから。 『・・・カカシ先生』 イルカが、す、と視線を此方に移した。 『―――――――泣いても、いいんですよ』 掛けられた 心底意外な言葉に、カカシが瞠目する。 それを見て、イルカはハッと我に返った様だった。 真っ赤になり、雨を吸ってへたった書類で焦って口を隠す。 『す・・・!!!すみません!!!俺、上忍の方になんて事を・・・・!!』 でも何だか、どうしても言わないといけないような気がして・・・ 慌てて何度も頭を下げるイルカに、カカシは米搗きバッタを思い、何だか笑えた。 ―――――同時に、心の奥で何かがふわりと揺れる感覚。 身体中から心臓の辺りへと集まり、気道を通って競りあがるそれ。 訳もなく鼻の奥が熱くなり、瞼を割って、 熱い水が一筋 溢れた。 (・・・あ・・・・オレ―――――) 泣い・・・て 驚き、目を見開いたカカシを、柔らかな雨が幾筋も、優しく包んだ。 雨に邪魔され、イルカには、きっと解らなかったろう。 ―――――初めてだった。こんな風に全て赦して貰えるのは。 切ない、苦しい、悲しい・・・今まで身体の奥底で抑え付けていた感情が、結界が破られた様に溢れ、カカシはそっと身を震わせた。 『イルカ先生・・・』 俯いて、カカシは僅かに笑った。ありがとうございます、と。 『・・・オレ、アジサイ好きです。』 あの人が初めてオレに意味をくれたこの花を。 ずっと愛していこうと 決めた。 カカシは、闇の中 揺れる紫陽花に目を奪われた。 蒼い 藍い紫陽花。 同時に脳裏に浮かんだのは、あの人の 高い位置で揺れる黒髪。 はにかんだ様に鼻の傷を掻く、あの 笑顔。 イルカ先生――――――― ふと、帰りたい と 強く思った。 もうオレに居場所なんて無いけれど。でも。 あなたの笑顔を、たまに遠くから見られるだけでいい。 ―――――もう一度、会いたい。 かえりたい・・・ 刹那、カカシに大きな隙が出来た。 カカシの眼に最後に映ったのは、紫陽花の深い青。 「――――――あ・・・?」 どす、と 背から脇腹に掛けて、鈍い音が走る。 カカシが目の隅で捕らえたのは、特徴ある藤色の額当て。 藤隠れの里の残党だった。 「紫・・・紫檀様の、仇・・・!!!!」 震える声で皆まで言わせず、カカシは力一杯その身体を弾き飛ばした。 近くの大木に思う様叩きつけられ、残党はあえなく絶命する。 「く・・・そ!!」 腹に深々と突き刺さった刀を、ずるりと引き抜く。 途端、熱い血が勢いよく溢れる感覚がカカシを襲った。 すぐさま手で強く押さえつけるが、指の間から止め処無く溢れる血が次第に思考を奪っていく。 カカシはがくりと膝を付いた。 息が荒い。 額に浮かんだ汗も、血も、何もかも 雨が流して地面へと吸い込ませてゆく。 霞んだ視界に、紫陽花が揺れた。 「――――――イル・・・カ せんせい・・・」 どさ、と。 地に倒れ臥したカカシを、雨が覆い尽くした。 BACK NEXT
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