“ひまわりみたいな先生なんだってばよ”



初対面の時から、変わらぬ真っ直ぐな視線。太陽のような笑顔。

最初は、ナルトから聞かされていた「イルカ」という人物に興味を持ち、面白半分で近づいてみたのだが。



だが、なんなんだ、この感覚は、 と思った。



彼と一緒にいると、訳も無く暖かいのだ。
ふわりと笑いかけられると、自分の中の冷え切った部分が浄化される様な気がした。
イルカと一緒にいると、幼い頃から命の駆け引きを強いられ、戦いの中でしか自分を見出せなかった時期をも持つ 自分の中の負の部分が、洗い浚い引き出されるような焦りを覚えた。



・・・だが、それと同時に、イルカはそれら全てを包み、絡まった糸を器用に解く様に、端から昇華していくのだ。



訳が、判らなかった。
何故こんなにも温かな気持ちになるのか。


・・・泣きたく、なるのか。


幾多の命を手にかけ、カカシは何時しか涙を忘れていた。
泣けないのだ。
寧ろ、「涙を流す」ということが、何かの行為の一つの様に感じられ、 そのやり方が解らなくなってしまった様だった。




そんな彼に
“泣いてもいいのだ”と。
そんな言葉をくれたのは、一年前、初めて出会った頃のイルカだった。

自分に感情をくれたイルカ。一緒にいられると、嬉しくて。涙が出そうで。



―――――大切にしたい、と思った。



伊達や酔狂で男を抱けるような、そんな男ではないのだ。自分は。




――――彼を、愛している。
本気で欲しいと思った。
強引な手段では無く、そっと、包み込むように手を伸ばして。


そうして、自分のものにしたいと思った。





・・・愛しているんだ。












雨天の都 5











冷たい夜気が、森を包んでいる。


間断なく降り注ぐ白糸の様な雨が、幾筋も木々の隙間を縫い、地上へと落ちて行く。
息を吸い込むと、雨特有の水の匂いと、噎せかえる様な緑のいきれ。
木の葉や草花を叩く雨で、周りの気配はすっかりと消し去られていた。



この雲の薄さ。もうじきに、この雨は途切れ、月が顔を出すだろう。




カカシは、暗部装束に身を包み、一本の大木の中腹にじっと座っていた。
耳を掠める、静かな雨の音。
その中から、少しの気配も漏らさず感じ取れる様にじっと耳を澄まし、自らは森と同化する様、気を周囲に溶け込ませる。




不意に、どこか遠くで何かの鳥がキィ、と一声鳴いて飛び去った。
その途端、急に自分は一人だ、と感じた。


久々に身に着ける暗部装束。
にも拘らず、しっくりと身に馴染むそれに、カカシは知らず苦笑する。
そっと 右脇に差した太刀を指先でなぞり、確認した。
金糸や螺鈿細工で彩られた豪奢なそれは、火影直々に下された今回の任務で 最も重要な物であった。

















――――近年、火の国に程近い場所に、新しい集落が出来た。

木ノ葉と波の国の境辺りに位置するその忍村は、一人の力ある男を中心にして出来たものだった。
その男は、正確には忍では無い。
男が使うのは術でもチャクラでも無く、「召喚技」と呼ばれるものだった。

「召喚」とは、言うなれば「口寄せ」の様なもの。
男が異国(とつくに)の呪を唱えると、彼に属する異形の物の怪が姿を現し、彼の命令通りに動き、敵を屠る。
チャクラを媒体としないこの術は、言ってみれば非常に厄介なものであった。
この世に二人と使い手の居ないその美しい技に、彼に心酔し 組する者が沢山集まり、築いたのがこの村である。
だが、現在は、その人数は急速に増加し、今やその集落は「里」と呼べる程の人数を誇るまでと成った。


・・・それだけならば、まだ良い。
一つまた新たな力ある里が増えたと、権力の均衡を案ずる者達が気に掛ける程度で済んだ。
実際、その男を中心とする集落は、最初の内は近隣国である火の国と友好関係を築く為、 その村の業師が一月かけて鍛えたという 見事な宝刀を持って、木ノ葉へと参上したものであった。


・・・しかし近年、その均衡が崩れようとしていた。
力を持てば、当然それを使いたくなるのが人の性。

物騒なことに、力を付けたこの集団は あろうことか 隙在らば他の国に攻め入ろうかという動きを見せ始めたのだ。


小さい集落であった昔なら未だしも、里程の大きさになった火種は下手に押さえ込める様な物ではなく。
かといって、その新興勢力にしても、何の理由も無く他国に攻め入る様な真似は出来ない。
それに踏み切るには何等かの理由が必要であった。
その為、周囲の国はその火に油を注ぐことの無い様、常に気を配りながら、裏では着々と その勢力を押さえ込む為の体制を整えようとしていたのだが。




数ヶ月前、突然 その男を中心とする新しい里から木ノ葉へ、使者が遣わされて来た。
曰く『数年前に友好の印として献上した宝刀。それを返して頂きたい』と。


その宝刀を鍛えた業師は、召喚師の男の血縁の者であったと言う。
召喚技を使う男を中心に、言わば何らかの宗教団体のような形で結束しているその里は、その男の血縁者をも神聖視して崇めていた。


―――その業師が、亡くなったと言う。
彼を偲んで遺物を祭ろうとしたが、彼の念の最も篭っているであろう物は、火の国に差し出した宝刀であった。
その為、その宝刀を返して欲しい、と。




・・・めちゃくちゃな理屈だった。元来、一旦献上した品を取り戻そうとする方がおかしい。
だが、前面衝突に向けてまだ完全に体制を整えきれていない木ノ葉は、この条件を呑むことにした。
しかしである。その矢先に、件の宝刀が何者かに盗み出されてしまったのだ。
すぐさま火影はAランク任務を設置。宝刀の奪還を命じたのだが、同時に特A任務として、極秘裏に暗部へと要請を出した。

任務内容は「宝刀を盗み出した首謀者と その里との関係を暴くこと。必要とあらば、首謀者を抹殺すること」

宝刀の盗人については、これを好機と見た目敏い商人や大名が  交渉の肴にして一山当ててやろうとしているのだ、と考える者も居たが、火影はこれを 相手里の自作自演の狂言であると見た。



・・・すなわち、この失態を理由に、火の国へ攻め入ってやろう と。




もしそうであれば、事態は火急を要する。
この危険な任務をこなし得る者を探している所へ、カカシがその任務に就かせてくれ、と懇願に来たのだ。
―――言うなればこれ以上の適任は居なかった。
しかし、火影は彼にこの任務を宛がうことを渋った。
カカシの眼の中に、火影は死の影を見たのだ。


だが、結局 国を背負って立つ者としての責任が、カカシにこの任務を与える結果となってしまった。






















霧の立ち上るぼやけた視界の中、雨の音を聞きながら、カカシは木の幹へと背を預けた。
背中の愛刀が幽かにつばを鳴らす。



――――カカシはじっとチャンスを待っていた。


今回カカシに与えられた仕事、それは、首謀者を引き摺り出す為の「囮」であった。



宝刀を奪還した後、カカシは直ぐに影分身を数体作り出し、 それぞれの影分身に数名、腕の立つ暗部を配備して、散り散りに逃げさせた。
つまり、どの部隊を取って見ても 直ぐにはどれが本隊か判らないという手筈だ。





・・・しかし、仮に首謀者が実力者なら。 自分の本体を見抜き、的確に此方を追って来るであろう。

そう。一人で里を創り上げる程の実力者ならば。



影分身とは、使うだけで相当のチャクラを消耗する。
影を維持し続けるのにも、相応のチャクラが必要だ。
故に、敵方にとっては、影分身を無視して戦力を本体に集中させるよりも、 僅かばかりの犠牲を払い 他の影分身を維持させておく方が有利である。

それが、自分の能力を疑わない者なら尚更のこと。





カカシは、先程から自分のいる「本隊」へ向けてじりじりと迫り来る気配を感じ取っていた。
敵の人数は恐らく、20位か。
此方の率いる部隊は精鋭5名。
じっくりと気配を探るが、流石に首謀者は気配を悟らせない。まだ出て来ないつもりだろうが。





・・・不思議と、恐怖というものは覚えなかった。




切羽詰っているのは確かだ。各国が恐れる未知の技を操る敵。力量はかなりの物だろう。
恐らくコピーは出来まい。





・・・敵うか否か。




だが、自分の内部は恐ろしい程に凪いでいた。
吹く風一つ無い、真っ暗な闇。その中で 鏡面のように静まりかえった湖を覗いている様だ。
しかし、同時に その中から沸々と湧き出して 自分の皮膚の内側から激しく存在を主張する、どす黒い炎を感じる。


カカシは口の端を吊り上げた。この感覚は久し振りだ。


―――――暗部に居た頃の、感覚。自分の命を物ともせず、只々 敵を屠る事だけが存在理由だった、あの頃の感覚だ。



肌の内側をぞわりと蠢く何かがある。
気分が高揚する。
武者震いを抑えることもせず、カカシはその快楽に身を委ねようとした。そのとき。







カカシの目に、木々の向こうに聳える、黒々とした山が映った。


山が、見る者を抱く様にあった。こんもりと緑を湛えて。




ふと、あの人のようだ、とカカシは思った。
静かに、大きくあって、何も要求したりしなくて。
けれど、無償で与えてくれる。傍に居るだけで、落ち着ける。









・・・不意に、里を立つ際、火影に掛けられた言葉を思い出した。
火影の執務室に飾られた紫陽花を目にし、思わず自分の口を突いた言葉。
その言葉に、火影は言った。


『イルカに、紫陽花の話を聞いたか?』














カカシの中の炎が、形を潜める。
同時に湧き上がりそうになったのは、胸が締め付けられる様な郷愁だったが、 それを認識するより早く、カカシは懐のクナイを深く左手の甲に突き刺した。
痛みが散漫な思考を再び集中させる。
雨が血の匂いを隠した。カカシは強く目を瞑る。


・・・別に、死に急いでいる訳では無い。そんなセンチな人間では無い。
ただ、あの里に居ることが耐えられ無かった。
一刻も早く、何も考えなくて良い様な、そんな状況に自分を追い込みたかった。だから任務を受けた。




だが、もう自分に、戻る所は無いのだ。



自分は、独りだ。
また独りに戻った。それだけのことだ。








カカシは、ゆっくりと狐の面を顔に被せた。
滑らかな上薬の掛かった素焼きのそれ。
朱色の隈取が施された面は、カカシを 集団の一部に埋没させてゆく。





そうして、カカシは自らに暗示を掛ける。
ヒトの心を殺して、完璧な「忍」となる為に。















―――――敵の気配が、射程範囲内に入った。




カカシは、ゆらりと立ち上がり、ほんの一度 刀をチャリ、と鳴らす。




それは 戦闘の合図。







カカシは、腰掛けていた太い幹を一足蹴り、音も無く闇の中へと踊り出た。
赤い瞳が、一筋の軌道を描く。



―――――さぁ、祭の始まりだ。




そのとき、空を覆っていた雲が薄く裂け、月の光が辺りを照らした。

カカシの持つ銀色は、意外な程 良く闇に溶け込む。
本来、黒とは相容れないはずの白銀が深い闇を内包し、まるで己がその一部のように同化してしまう。


・・・だが、一度 月が照らせば別だ。


闇の中にうたれた一筋の光 まるでそれを待ち望んでいたかのように、豊かな銀髪は強く光を撥ねた。
月の元で、己が姿は隠しようも無く、輝いてその存在を主張する。

それはつまり、敵の恰好の的になる、ということ。
闇の中から現れた、見失うべくも無い標的に敵が群がる。
・・・だが、それすらも 自分にとっては好都合だった。


敢えて敵の眼前に 煽る様に姿を晒し、カカシは木々の間を縫って飛んだ。
腰に差した宝刀の細工が、月の光を反射して燦然と輝く。
それを目にした敵方の目の色が変わった。

「刀を、奪え・・・!!!」

怒号と共に、一斉に自分目掛けて向かい来る殺気。
その張り詰めた緊張感に、カカシは面の下で にぃ、と笑った。


・・・いいねぇ・・・


疾風のように木々の間を駆け抜けていた銀糸が、突然 ゆらりと立ち止まる。
月灯りに照らされ、面越しにすぅ、と細められた赤い目を見た時、彼を追っていた忍び達は 漸く自分たちの愚を知った。


「写・・・輪眼・・・?」





「あたり。」


突然、何の前触れも無く 彼らの中で最も格上の者の首が飛ぶ。




突如上がった血飛沫と共に崩れ落ちる部隊長に、悲鳴が上がった。

「わああああああぁっ!!」

「き、貴様・・・!」

猶も刀を構え直し、果敢にも自分を追い詰めんと気迫をぶつけて来る敵らに対し、カカシは艶然と微笑んだ。


「いいね・・・そういうの、嫌いじゃないよ」



カカシは四肢を気だるそうにぶらつかせながら言った。
刀は鞘に収めたまま、得物一つ握っていないその様が 場に非常に似つかわしく無く、言い知れない恐怖を見る者に与えた。




・・・けどね。

「一つ、言っておくけど」




敵の忍が、ごくりと唾を飲む。


「・・・オレ、今日はすこぶる機嫌が悪い」


カカシの動きがぴたりと止まった。ゆっくりと刀を構える敵の方へ向き直る。



「相手してくれるなら、そのつもりでね」







その途端、カカシから発せられた桁違いの殺気に森中の鳥が一斉に飛び立った。
襲い来る刃の様なそれに、敵忍の幾人かはそれだけで昏倒しそうになる。


「楽しませてよ」


瞬間、カカシの姿が掻き消えた。



「な――――――!!!」


闇を裂く銀の軌跡を、一体何人が認識出来たのか。
集団の真っ只中に踊り出たカカシは、背に差した長刀を引き抜くと同時に、目の前の忍に 袈裟懸けに切り下ろした。
体重の乗った一振りを下ろすと、その勢いを殺さず 逆の足へ重心を移動させ、まるで舞う様に刀に円軌道を描かせる。
カカシの周りの忍びの咽がぱっくりと裂けて、彼を中心に赤い華が咲いた様に血飛沫が吹き上がる。

「――――――鬼だ・・・」

と誰かが呟く。
カカシは く・・・と喉で笑った。



鬼か。いい響きだ。





たん、と倒れ臥した敵の輪の中から飛び上がり、近くの木の幹を蹴って一直線に跳んだ。
空中から敵の一人に刀を振り下ろす。
受け止めようと合わせてきた相手の刀を 勢いをつけた力と体重で真ん中からへし折り、そのまま相手の身体を脳天から切り裂く。
後ろから切り掛かって来た別の忍の刀を 間伐入れずに身体を反転させて受け止める。

「浅いよ」

相手の渾身の一撃を物ともせず、カカシは左手一本で持った刀で受け止め、振り抜いた。
信じられない程の強力に 吹っ飛ばされたその忍の身体は、一瞬の内に飛び迫ったカカシによって両断される。
着地したカカシは、身を地面に付くほど深く傾がせ、身体中のばねを使ってぬかるむ地面を蹴った。
弾丸の様な速さで刀を振り下ろさんと構えた敵の咽喉に肘を打ち込むと、ごき、と音を立てて頚椎が折れる。
そのまま首を掴んで身体を地面に叩きつけると、完全に首が逆方向に折れ曲がった。



その間、実に 僅か数秒。

「ひ・・・ああああぁぁ!!!」

厭という程 格の違いを見せ付けられた残りの忍が、散り散りに逃げた。
と、間伐入れずに闇の中から 潜んでいた何かに切り伏せられる断末魔の叫び声が聞こえる。


「逃げられないよ」


他の暗部たちがちゃんと位置に付いている事を確認し、カカシは満足げに微笑んだ。





―――――さぁ、これで斥候兵はもう居ない。
退路は暗部で固めた。宝刀はここにある。





・・・さぁ、どうする?















さ・・・と風向きが変わった。





カカシは、長刀にこびり付いた血を一振りすると、闇をじっと見詰めた。



湿気を含んだ生ぬるい風が、銀の髪を揺らす。














――――――ずるり、と闇が動き、一人の男が姿を現した。                                         















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