世界で一番馬鹿。


きっとそれは、俺のことだ。




どうせいつか捨てられるから?
傷付くのが怖くて、だから拒んだ?



・・・何て、勝手な


呆れた自己中心者だ、俺は。



捨てられたなら、追い縋ればいい。愛している、失いたくない、と。


何処までも追いかけて、力の限り、足掻けばいい。
ときには、命を掛けて、戦って得ればいい。




・・・もう自分は、何も出来ないで待っているだけの 子供じゃないんだから。








―――――そんな単純な事に、今更、気付いた。

だからもう、何があってもこの手を離さない。



例えあなたが、もう俺を必要としなくても。











雨天の都 終章













今 俺は、世界で一番 情けない顔をしている事だろう。






カカシが里に帰って来た。


白い担架に乗せられた彼は、慌しく動く医療班の中、ほんの一瞬しか目にする事は出来なかったけれど
・・・元々色素の薄い顔が、更に蒼白になっていて。




俺は、雨の中 ひとり泣いた。












遠雷が、地面を揺るがして鳴り響いているのを聞いた。


時折光る雷鳴で、白い病室の中が明るく照らされる。
ベッドに眠る、白いカカシの顔が、稲妻が閃く度、その輪郭を露にする。
イルカは、眠るカカシの傍らに立ち尽くし、じっとその顔を眺めていた。



・・・カカシの傷は深かった。


『良くここまで持ったものだ』と 医療班が漏らした言葉を、イルカは聞き漏らさなかった。

木の葉の処理班が到着するまでの長い長い間、
雨に晒され続けたカカシの身体からは血液が殆ど奪われ、体温もほぼ消え去りかけていたという。



・・・けれど、見つけられたときのカカシは、酷く苦しげな顔をしていた。

まるで、何か忘れて来た事でもあるかの様に、何かに執着する様に、カカシの周りには幾つもの 土を引掻いた跡があった。





「ね、その長い間、カカシさん・・・」


イルカは、血の気を失ったカカシに向けて、独り言のように問い掛ける。


「・・・あなたは一体、何を考えて過ごしたんですか・・・?」





俺はね、カカシさん。

―――――あなたがいなくなってから、ずっと、あなたのことばかり考えてました。






イルカの頬を、涙が伝ってシーツに染みを作った。









また、稲妻が光った。

病室の窓を叩く強い雨。


嵐が、来ていた。





  ―――――――“今夜が、峠だ” と 言われた。
“もし今夜中に意識が戻らなければ、脳に障害が残るだろう”と。もう、目覚めないかもしれない。生涯、こうして眠ったように生きていくしかなくなるかもしれない。






イルカは、ゆっくりとカカシの手を取った。
氷の様なその手に、体温を分け与えるかの様に、自分の両手で包み込む。


「・・・ねぇ、カカシさん。覚えてますか?」


イルカは握り込んだカカシの手に、そっと頬を寄せた。

「俺が夜中に魘されて飛び起きた時、あなた、いつでも こうして俺の手を握っていてくれましたよね・・・」


――――俺は、それが 涙が出るほど嬉しかった。
あなたの手が、いつでも俺を この世界へと繋ぎとめてくれたんですよ、カカシさん。





窓を打つ雨の音が大きくなった。
雷鳴が近い。
木々が荒れ狂う風に煽られ、めりめりと音を立てる。


・・・すぐ其処に嵐が来ている。




イルカは強く、カカシの手を握り込んだ。


――――ねぇ、カカシさん。


「・・・まだ、あなたに伝えられていない事が 山程あるんです・・・っ!!」



イルカの目から滴り落ちる水滴が、ぱたぱたと シーツに沢山の染みを作った。







・・・こんな所で、終わらせない。絶対に、終わらせない。


イルカは、涙で濡れる瞳を きっと上げた。
真っ直ぐにカカシを見詰める。目を逸らさずに、まっすぐ。

今度こそ。




「――――だから、今度は、俺があなたを見つけます」




きっと。

絶対に、死なせない。死なせて たまるか・・・!





どんな闇の中にあっても。あなたが俺を必要としていなくても。



――――――俺は、絶対にあなたを見つけます。




そしてもう二度と。あなたの手を離さない。



























****





はぁ・・・はぁ、・・・はぁ・・・


自分の呼吸音が、頭に反響して 大きく響いた。
熱く絡み付いてくる砂に脚を取られる。
照り付ける太陽の下、陽炎を揺らめかせる大地。

見渡す限り一面の、砂の牢獄。


右手には、いつも牽いてくれていた冷たい手は無い。

この広い世界、この熱砂の牢獄に、自分は 独りだった。



「・・・カカシさん・・・!!!」



掠れる声を懸命に張り上げる。
殆ど声にならない、声。





――――――見つけなければ。




・・・俺は、初めて 自分の足で歩き始める。






「――――カカシさん―――!!」


この広い世界、何処にいるのかもしれないあなたを。

今度こそ俺が、見つけなければ。



どこだ、何処ですか。





「カカ・・・シさ・・・ん!」


馬鹿の一つ覚えの様に、何度も繰り返し叫ぶあなたの名前。
汗に塗れて、目の前は霞んで見えない。


けれど、感じる。

あなたはきっと、何処かにいる。


カカシさん カカシさん・・・!!!







限界を超えた暑さの中、重く脚を取る砂から力任せに足を引き抜く。

一歩一歩、渾身の力を込めて。





・・・カカシさん・・・!!




崩れそうに震え出す脚を叱咤し、太陽を振り仰ぐ。
どちらを向いても標すら無い砂の世界に、挑みかかるように、また 一歩一歩。








・・・カカ・・・









どれくらい歩いたか。

不意に、ざぁ・・・と砂を巻き上げて、風が吹いた。

熱砂が顔を掠める感覚に、思わず目を閉じようとしたイルカは、瞠目した。



見渡す限りの黄土色の世界に、ぽつんと小さく青色が見える。
蒼い藍い、それは



「あじ・・・さい?」



半ば熱砂に埋もれる様に。
その藍い花は、こんな砂礫の世界の中で 瑞々しく咲き誇っている。


イルカは弾かれた様に紫陽花の方へ歩を進めた。
砂を掻き分け、何度も脚を取られて転びながら



・・・けれど


(・・・違う・・・)



近付くにつれ、輪郭が露になるそれ。それは、紫陽花などではなく

(違う、あれは・・・)

イルカは、駆け出した。





「―――――――カカシさ・・・!!!!」



砂の中に埋もれるそれは、見紛う筈も無い。

カカシの、銀色に輝く髪。



「カカシさん、カカシさん!!!!」



我を忘れて無我夢中で駆け寄ったイルカは、埋もれた銀糸を必死で掘り出そうと、砂を掻き分けた。
しかし、粉の様に細かい砂粒は、掻いても掻いても、更にカカシの身体を飲み込んでゆく。

「待って くれ・・・!!!」

カカシさん――――――!!!!

イルカは、瞬間露になったカカシの白い腕を砂から掬い出し、死に物狂いで引き上げた。


「行かないで、いかないで下さい カカシさん!!!」


途端、自分の足元の砂が崩れた。
踏み締めるが、カカシの身体と共に、自らも飲み込んでゆく黄土色の砂礫。


胸の辺りまで引き上げられていたカカシの身体が、すぐさま肩まで埋まる。
迫り来る砂に腰まで取られたイルカは、それでもカカシを放さなかった。
強くカカシの上半身を抱きこむ。
離すものか、と。




「いやだ、嫌だ―――――――!!!!!!!」




まだ俺は、何にも伝えちゃいない!カカシさん!!!



「カカシさん・・・!!!」



搾り出す様に渾身の力で放った声は、初めて鮮明な音となった。

イルカの頬に 涙が、溢れた。




「好きです、カカシさん・・・」





重い砂が絡まり付いて、もう、身動き一つ取れなかったけれど。


「愛してます・・・」


胸の銀髪を掻き抱く。


涙が、砂の上に滑り落ちた。



















そのとき。

雨が。













太陽が煌々と輝く天、その天を、雨粒が裂いた。
見る間に空一面を覆う雨雲。
雲が雲を呼び、空を覆った灰色の天蓋から、次から次へと雨滴が零れ落ちた。


ひとつ、また一つと砂の中に染み込んで行く雨は、瞬く間に 視界を鎖すほどの豪雨に変わる。


足元の砂が、流動を止めた。




「カカシさん!!!」


イルカは、カカシを引き上げる。
もう既に殆ど残っていない力を振り絞って、砂の上に倒れ込むようにして 砂の中から二人 這い出した。


「カカシさん!カカシさん!!」


息を切らせながら、ぐったりと目を伏せたカカシの頬を何度も叩く。
天から零れ落ちる様に降る雨に、すっかり濡れ鼠となった身体。
髪が顔に張り付くのをものともせずに、イルカは、カカシの名を呼んだ。



「――――カカシさん・・・!!!」









・・・ふ、と 


カカシの瞼が揺れ、

その色違いの目が眩しそうに、ゆっくりと露になる。

まるで長い夢から醒めたかの様に、カカシはぼんやりとイルカを見、そして 笑った。






あぁ・・・!!



「カカシさ・・・!!!」


イルカは、ぎゅう、とカカシを抱き締めた。
背中に回されたカカシの腕が、強くイルカを抱き締め返す。




やっと、やっと・・・


―――――見つけた・・・




互いの背を雨に打たれながら、
雨に濡れた砂礫の世界で、二人は強く抱き締め合った。








――――――――会いたかった・・・
































掌を、そっと指で辿られる感覚。


その感触に、イルカはゆっくりと意識を浮上させる。
薄らと開いた目に映ったのは、白いシーツに窓から差し込む眩い光。


――――そして、光を反射して輝く銀髪。



「・・・イルカセンセ・・・」



カカシが、泣き笑いの顔でじっと自分を見ていた。




「カカシさ・・・」




涙が、溢れた。

「カカシさん・・・っ!!!!」

彼の首筋に縋りつく。
懐かしい、ずっと嗅ぐことの無かった 彼の、匂い。



「聞こえましたよ・・・」



カカシが、イルカの背を抱き締めた。
服に皺が寄るほど、強く 強く。


「――――イルカ先生の 声。聞こえましたよ・・・」


首筋に押し付けられる、柔らかな、銀髪。


そのとき、イルカの首筋に落ちた暖かなものは、涙だったのか。




イルカは無我夢中で、カカシの唇に口付けた。
瞬間の躊躇の後、同じ激しさで返される。
思い出となりかけていた、温かな 感触。


「・・・好きです、カカシさん」

白いカカシの襟元に、顔を埋めてイルカは言った。

「離したくない、です・・・」

言いたい事は山ほどあったが、全てが 言葉にすると砂の様に崩れてしまいそうで。
イルカは、魂を込めて それだけを告げた。


「―――――オレもですよ・・・」


イルカの首筋に何度も口付け、カカシは少し笑った。


「今更、ですけどね」

「――――ごめんなさい、カカシさん・・・」

俺、と続けようとした言葉は、唇にそっと当てられたカカシの長い指に阻まれた。
カカシの顔を見上げると、頬に涙の跡。
カカシは、愛しさを込めてイルカを見、微笑んだ。



「・・・何もいわなくて いいんです。あなたの言葉は、全部 聞こえましたから」





ほら、イルカセンセ。


カカシが指差した方を見遣ると、窓の外には、久しく見ることの無かった広がる真っ青な空。
薄雲の切れ間から光が行く筋も漏れ出し、地上に残った水滴を宝石の様にきらきらと反射させていた。


嵐が、夏を連れて来ていた。



「―――――夏が 来ますよ・・・」





そうして二人見た空を、イルカは忘れる事は無いだろうと思った。














ねぇ、イルカ先生。
もう一度、アジサイの話 聞かせてもらえますか?

そう言ってカカシが微笑む。



イルカは一瞬 きょとんとした後、溢れんばかりの笑顔で応えた。





・・・そして、夏が来る。



輝き溢れる光に満ちた世界を、共に。










イルカはカカシの手を、強く握り締めた。















<終>                                            
















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