「・・・なぁ、イルカ」

「―――なんだよさっきから・・」

 

深緑のジャージを腰で締め直しながら、俺はうんざりして視線を上げた。不安げな目を彷徨わせて、落ち着かない様子のクラスメイト・コテツが、すがるような顔でこちらを見ている。

 

「もうほんと、これってどういうことだよ・・オマエ、はたけとどういう関係だ?」

「どういう関係もねぇよ!聞きてぇのはこっちの方だっての!」

 

先ほどから同じ質問を、山ほどクラスメイト(いや、うちに限らずD組のやつらにまで)から投げかけられ、いい加減ぐったりしているところなのだ。思わず声を荒げてしまい、そんな自分に溜息をつく。

 

 

金をかけて造られた、広く清潔な床が広がる。此葉の抱える、県内一と謳われる大きさの体育館だ。木目の美しい床に均一に乗ったニスが、少し冷えた隔離空間の匂いを鼻先に届けてきた。

教室よりも馴染みが薄いせいか、いつもここに来ると何とはなしに余所余所しい気分になるな。逃避するように考えが散漫になって、ふと見上げた先には 上の方から、目玉みたいなでかい照明、明り採りの天窓、・・・そして、頭の上にそびえる、バスケット・ゴール。

再び漏れた溜息とともに 流した視線の先には、D組の生徒が島のように固まっている。少し距離を置かれ、集団の真ん中にいる、遠目にも目立つ、ジャージを自己流に着崩した生徒たち数名。

その中でもひと際目を引く銀髪の男が、こちらをまっすぐ睨んでいる。

 

・・あぁ、そうそう。確かこの体育館改築のときも、あいつの親父が随分寄付したって話だったな。そりゃ、教師は何も言えねぇよなぁ。

 

いたる所に金のかけられている匂いがし、俺はうんざりと男の視線を流す。かわした後も、彼の強い視線が首筋に絡まるのを感じ、思わず溜息が出た。

 

 

まさか本当に授業に出てくると思わなかった。始業時間ぎりぎりに、数名の取り巻きと共に 似合わないジャージを引っ掛けて体育館に入ってきた「はたけカカシ」を見て、生徒の間からはどよめきが上がったが、一番驚いたのは、毎回やつの後始末に奔走せねばならないD組の教師だろう。哀れなことだ。

しかも、はたけの第一声は、「今日はオレ、そこにいるうみのサンと戦いに来ましたァ」だったのだ。

しんとした広い体育館に響き渡った、まぬけに間延びした声に 生徒が一斉に俺の方を振り返る。ちょっと待てお前、何考えてる、授業なんだぞバカ、一度に迫上がった言葉が喉のあたりで渋滞している隙に、首を少し傾げて はたけは俺に笑いかけた。

 

「よろしくね?」

 

・・正直、俺が今まで見た中で一番、完璧な笑顔だった。だが眇められた彼の目の中に、好戦的な炎がともっているのを見て、俺は眉を顰める。

 

なんだこいつ、どういうつもりなんだ。今ので俺の退路を断ったつもりかよ。

俺が逃げると思って・・?

 

考え出すと、腹の中で燻っていた苛立ちが一気に燃え上がった。

 

―――どんなふうに思われているか知らないが、そんなに腑抜けたつもりはねぇな。

 

「・・・上等。」

 

うっかり唇から洩れた言葉に、周りの生徒がぎょっとして俺の顔を見遣った。

 

 

 



「・・・でも、ま!」

コテツが鼻を啜りながら、ゴールネットを眺める俺の肩をぱんぱん、と叩いてくる。

「こっちにイルカがいりゃー大丈夫だな!オマエ、何でも出来んだし」

楽勝じゃね?と呑気に笑う男に視線を下ろし、俺は溜息をつく。

「・・ちょっと待てよ。俺バスケが得意なんて、一言も言ってねぇぞ」

白いTシャツの襟繰りを直しながら俺が不機嫌に言うと、彼はきょとんとしながら鼻筋をまたぐテーピングシールを弄んだ。

「え?・・だってさ、オマエ結構バスケうまかったろ?器用に大概のことこなすし・・なんたってウチの会長だもんな。なんかはたけ、オマエ敵対視してるみてぇだけど。恐るるに足りず、って感じ?」

「――ばっかお前、『器用貧乏』って言葉知ってるか?」

 

自分が大抵のことを水準以上にこなせるのは知っている。それで生徒会長の位置に就いているのも理解しているが、それらは全て 誰でも「努力すれば到達できる」地点の話だ。一番怖いのは、もともとポテンシャルの高い人間が「得意」と言い切る領域。

はたけは、「バスケが得意」と確かに言った。

 

「・・・あいつ、相当うまいぞ」

 

言い捨てると同時に、無意識に腹の底から込み上げる感情に気付く。

決して得意な分野ではない。
だが、このまま負けにいくつもりもないな。

自然と、肩口を触る指先に力が入った。

 

 

 

「―――さて、じゃ、そろそろやんない?」

 

借りものなのか、ぞろりと長いTシャツと濃い緑のジャージをたくし上げ、はたけは腰に手を当てて周りを見渡す。

細身の体にだぶつかせたシャツを纏っているだけだが、長身と相まって、それがやたらと様になって見えるから不思議だ。異人種の血が混じった者特有の、均整の取れた骨格がジャージ越しにも見て取れた。

・・・なんなんだこいつ、ほんとに。

嫌味なほど整った顔で、彼は人だかりにざっと目を走らせる。

「人数適当に5人出して。あ、オレとうみのさんは入るから4人ずつね」

 

おいおい、いきなりかよ。俺がはたけを睨むと、その視線を受けて彼はにやりと笑う。

 

 

「あとね、ジャンプボール オレ飛んでいい?―――うみのサンと」

 

 

いよいよ俺は眉を跳ね上げる。周りの生徒からもどよめきが上がった。
そりゃそうだろう、自慢じゃないが、今の時点で俺は背が高い部類の人間ではない。標準よりは少し高い程度、で トスアップにまず使われることはないのだ。
対してはたけは、恐らく180cmはある。このタッパ差で、どう考えたらこんなめちゃくちゃな指名ができるのか。

 

どんだけ本気なんだよ・・

 

俺はじろりと 奴に剣呑な視線を送る。自分の中の負けず嫌いが、静かに腹の底を焦げ付かせてゆくのを感じた。

「――――俺は別に、かまわねぇよ」

低い声が喉から洩れると、はたけの笑みが深くなる。

「決まりだ」

傍らに転がる重いゴムでくるまれた塊を蹴り上げ、それを難なく腕の中に収めると、はたけは周りを見わたす。

 

「そんなら始めよう。早くね」

 

 

 

だん、だん、と重みのあるボールを床に叩きつける音が聞こえる。傍らに立つ、恐らくバスケ部のメンバーなのだろう審判が、俺たちを落ち着かない様子で見比べながら、御座なりにルールを復唱している。俺たちに興味はあるが、早いとこ、この気まずい場を離れたくて仕方ないに違いない。俺だって嫌だ。

目の前に仁王立ちするのは、はたけカカシ。何が可笑しいのか、口元にずっと笑みを浮かべたまま、それでも視線を俺から外さない。不躾な視線にムッとしながら、少し上にある、その色違いの双眸を睨んでやった。

俺から見て数センチしか違わないように見えるその目線も、傍から見ればずっと大きな差になっているだろうことを知っている。

コートを囲む生徒たちが、固唾を飲んで見守っている気配を痛いほど感じた。

 

「―――じゃ、ルールは以上です。何か質問は?」

 

問いかけた審判生徒に、はたけが何か口の中で呟く。

 

「・・え?」

 

 

「だから、早く始めろよ」

 

 

腹の底から響くような唸り声と共に、はたけがじろりと審判に視線を投げる。構内一の不良に射すくめられた生徒は、一瞬硬直した後 慌ててボールを投げ上げる。

 

若干震えたホイッスルが、体育館に響き渡った。

 

俺の方はもう、むかっ腹が立って仕方なかった。いったい何なんだ、この傍若無人な男は!周りの迷惑なんか顧みず、人の話なんかどこ吹く風。協調性のかけらもありゃしねぇし!

 

精一杯撓ませた膝のばねを使い、一気にボールに向かって伸びあがる。基礎的な運動は得意な方だ。脚力もあると自負している。出し抜くつもりで頭上のボールに向かって腕を伸ばした。だがその伸びきった手の上、遥か上からひらりと長い指が翻る。

 

「――――っ!」

 

一瞬だった。俺の指先を僅かに掠めたゴムの塊は、薙いだ白い腕にあっという間に掻っ攫われる。逆方向に飛んだボールの着地点、寸分違わぬ処に相手サイドのメンバーがいるのが視界に入り、俺は空中で息を飲んだ。

この体勢でいきなりパスか・・!

瞬間、視線が絡んだ。銀の髪をなびかせたはたけは、俺に向け に、と唇に弧を描かせる。

 

―――こいつ!

 

着地は俺の方が早かった。瞬時に横へ力の方向を変え、足が地面に着くと同時に走り出す。

 

「速攻来るぞ!戻れ!」

 

自分のゴールを指差し、一気に陣地内へとディフェンスを呼び戻す。俺の他のチーム員は、皆が尻込みする中名乗りを上げた経験者ばかりだ。すぐに布陣を整え、ドリブルで走りくるD組の生徒を囲い込む。無論俺も外から回り、陣形を抜けた相手サイドの生徒に向けて、カットインへ走り込んだ。指先がざらつくボールの表面を捕らえる。

その時、俺の脇を銀色の風が駆け抜けた。手のひらに重い衝撃が走る。はっとして目線を上げるのと、手から奪われたボールが鮮やかに空中で弧を描くのと同時だった。

 

ざ、とゴールネットをざわめかせ、褐色の球が吸い込まれていく。

 

空に踊った白い腕が、寸分の誤差もなく、美しい動きで伸ばされていた。

 

 

ごくり、と喉が鳴る。

 

―――速い・・!

 

甲高いホイッスルが鳴り響く中、息も乱さずはたけが振り返った。

 

「まずは3点、ね」

 

ゴールゾーンの遥か外から、明らかに俺に向けられた自慢げな表情を見て、俺はまたムッとしている自分に気付く。

――上等じゃねぇか!

再び鳴ったホイッスルに、一斉にメンバーがばらけて走り出す。
俺も駆け出したが、すぐ傍にはたけがぴったり寄り添ってついてくる。意識しなくとも視界に入ってくる特徴的な銀髪。また唇にあの笑みを乗せているのだろうか。

苛立ちが募り、踵でスピードを殺して逆方向へ走りだす。だが、背中側へ回っても全く違う方向へと撒こうとしても、はたけはしつこいくらいに俺にへばりついて離れない。

 

「!?」

 

右へ揺さぶりをかけて、不意を突いて左へ身体を傾がせる。だが、どれだけ緩急をつけて振り払おうとしても、はたけは全く動じなかった。何かで貼り付いているように、寸分たがわず俺のスピードと軌道を真似てくる。

 

というか、これじゃ・・!

 

直線で引き離そうと全力で駆けたが、すぐに体の向きを変えたはたけに難なく追いつかれる。

 

これじゃ、全然動けねぇじゃねーか・・!

 

そうこうしている間に、またホイッスルが鳴った。今度は俺のチームのメンバーが、綺麗なミドルシュートを決めている。

 

「あ―――ぁ、取られちゃった」

「あーあって、お前・・!」

 

手のひらを額に翳し、まるで高みの見物を決め込んだようなはたけの態度に、俺は食って掛かった。

 

「どういうことだよ!?ボールを持ってんのは俺じゃねぇんだぞ!?」

 

なんで止めにいかねぇんだ!との俺の言葉に、はたけはまた首を傾げて微笑む。

 

「・・・だから、言ったっしょ。今日オレは『アンタと』戦いに来たんだって」

「―――!?」

「アンタのボールだったら、全部止めてやる」

 

上目遣いで眇めてくる色違いの双眸には、凶器に近い凄味があった。

 

・・なんだよ、そりゃ。それじゃあ、まるで・・・

 

腹の中で燻っていた蟠りが、急にすぅ、と冷えていった。俺は静かに息をのみ込むと、その目を威嚇するように見つめ返す。

 

 

「・・成程。解った」

 

 

 

響いた笛の音を合図に、俺は走り出した。すかさずはたけが付いてくる。身体を反転させ、一旦スピードを断ち切り 逆方向へフェイントをかける。だが、一体どこがどうなっているのかと思うほど、無駄のない動きで はたけはぴたりと俺の動きに合わせてくる。
2度、3度とフェイントを繰り返し、ようやくできた僅かな隙を突いて、俺は相手ゴール近くへ走り込んだ。

「こっちだ!」

声を上げた俺に、D組のディフェンスに阻まれたクラスメイトが後ろ手にパスを飛ばしてきた。受け止め、速攻でドリブルを始めた途端に、目の前に立ちふさがる銀の影。

「させないって」

言いながら振り下ろされる白い腕が、俺の耳の横で空を切る。咄嗟に右足を軸に決め、ボールを抱え込むように回転した。はたけが凄いスピードで回りこんでくる。また、肩に触れそうになった腕を寸での所でかわし、胸を丸めて身体を翻す。


「無駄でしょ!ドリブル絶対出させないから、そのつもりでね」

実際、はたけの身体能力は凄まじかった。俺の体の外側を、大きな回転半径で駆けているにもかかわらず、中心のピボットターンから全く抜けだす隙ができない。ちらりと脇に視線を流し、俺はふ、と息を整えた。

 

―――けれど。

「・・さぁ、どうかな?」

 

眼前に回り込んだはたけに、俺が笑いかけたとき、ボールがネットを揺らす小気味よい音が響いた。

 

「――――へ?」

 

はたけががばりと顔を上げ、ゴールを仰ぎ見る。A組の生徒から歓声が上がった。飴色に光る床を跳ねる、ボールの重い音。

すぐにこちらに振り向いたはたけに、俺は何もない腕を開いて見せてやる。

 

「・・・なーんて。ボール持ってると思ったか?」

 

唖然とするはたけに、こんどはこちらからにやりと笑いかけてやる。

 

「『俺のボールは全部止める』って言ったよな?―――この場合はどうなんだ?」

「アンタ・・・いつからフリーだったんだよ」

 

目を瞬かせるはたけに、“なんだか似たような質問を俺もこいつにしたことあるな”と思って 俺は苦笑した。

 

「結構前から。あんたが追いつく頃にはもう、あいつにパスしてた」

 

ゴール下でガッツポーズを決めているクラスメイトを指差すと、マジかよ、とはたけが喉の奥で呟く。

 

「なぁ、」

 

はたけの顔を覗き込みながら、切れる息の合間、俺は声をつなぐ。

 

「・・・バスケって、こういうもんだろ?だれか一人にだけ固執して、ってそういう楽しくないもんじゃねぇだろ?

見ろよ、今のミドルでこっちは4点。―――下手すりゃ、こっちの圧勝だぜ?」

 

片眉を上げて、彼の顔をじっと見つめる。

「なぁ、はたけ」

 

「ちゃんとしようぜ。・・・俺、あんたと普通にバスケがしたい」

 

彼の少し熱を持った色違いの瞳を見ながら、俺は言った。はたけの長い銀色の睫毛が驚いたように震え、切れ長の目がまじまじと見開かれる。また試合再開のホイッスルが鳴った。コートの中の風の流れが、さっと変わる。

 

数度、俺の顔を瞬いて見つめた後、はたけがふ、と笑った。

 

「――――そういや、そうだね」

 

初めて見る、彼の柔らかな表情だった。その笑顔に、俺も笑みを返す。

今度は、皮肉じゃない、本物のやつを。

 

 

 

はたけは、やっぱり尋常じゃなかった。ただ「うまい」と一言では言い切れない、それ以上の能力を持っていた。

打って変わって、自分の動きで駆けだしたはたけは、自然にチームの中に滑り込み、圧倒的な速さでスリーポイントを3度立て続けに決めた。センターサークル近くからのシュートで、皆が「入るはずない」と思うような距離でも、柔らかく跳躍した身体から飛ばされるボールは、正確無比な軌道でゴールネットを揺らす。重力を感じさせないその動きに、生徒全員が息を呑み、圧倒された。

 

はたけを一瞬でもフリーにするのは危険、と判断したチームメイトが、マークした彼に群がってゆく。A組のメンバーも、負けてはいない。ほぼ全員がバスケの腕に覚えのある者で、負けん気も人一倍だ。D組が取りこぼしたボールを確実にゴールへ運んで行った。

 

「――――イルカ!」

 

背の高いクラスメイトが、今奪い取ったボールを、振りかぶって俺へ投げつける。まっすぐ伸びたスロー・パス。

D組のディフェンスを掻い潜り、ゴール下へ躍り出た俺は、ワンフェイントで頭上のゴールへとボールを投げ上げた。

ネットの擦れる音が聞こえ、網に引っ掛かり不規則な動きのボールが地面へと落ちてくる。

 

「・・よし!」

 

近くのチームメンバーと拳を突き合わせると、お互い目配せをし合いながら息つく間もなく自チームサイドへと駆け戻った。

 

よし、今の所レイアップシュートは外してない

 

そのことに、俺は小さく安堵する。フリースローラインより遠い場所からのフェイントシュートを狙ってみたが、上手くいかず立て続けに外した俺は、すぐに頭を切り替えて 一番初歩的な所を固める作戦に出た。

 

はたけみたいに、派手なのは向いてない。

・・だから、ゴール足もとで外されたボールは、逃さずにモノにしてやる。

 

俺は顎を滴る汗を拭いながら、強い目でボールの軌道を追った。

 

「ヘイ!」

 

また鋭い声が、スリーポイントシュートを放ったクラスメイトから飛んだ。ボールの描く弧が僅かにブレている。

 

――枠の内側、右寄りに当たる!・・・なら

 

俺はライン内に走り込み、ゴールの真下で左に跳躍した。ぐわん、とリングを揺らし 一旦ネットへ沈んでゆくかと思われたボールは、丸い逆軌道を描いて弾かれ、ゴールから零れ落ちる。その重力の先、ボールに寄り添うように俺の手が届いた。

 

「っ!」

 

跳躍の力でもう一度押し上げられたボールは、今度こそするりとネットの真ん中を落下していった。

 

―――よし、またプラス1、だ

 

荒い息でボールが地面に着くのを見届け、また配置に戻ろうとした俺に、ヒュ、とはたけが口笛を吹く。

 

「やるねぇ。アンタのレイアップ、きれいだなぁ!」

肩で息をしながら、Tシャツの袖で顔を拭い、はたけが笑いかけてくる。銀の髪から汗が滴って、白い頬が熱で僅かに上気している。

「でもって、アンタは目がいいね。―――負けてらんない」

先ほどとは打って変わって、何か吹っ切れたように全開で微笑むはたけは、なんだか少し幼く、それでもとてもきれいだった。それが嬉しく、俺もまた同じように笑い返す。


「こっちもな」

 

 

 

チームの中で動き出したはたけは、パス回しも絶妙だった。

正確なだけでなく、速いのだ。

ダッシュで攻め込んできたはたけに、一度に3人のマークがつくが、いつの間にかノールックで飛ばされたパスがD組のフリーメンバーに飛んでいる。
エンドラインに近い場所からディフェンスの手を掻い潜り、中央線を遥かに超えた位置まで飛んだワンショルダー・パスを見て、されにそれが相手チームのメンバーの胸にすんなり収まったのに気付き、俺たちはまた彼の身体能力の高さに呆気にとられた。

 

「速攻!」

 

はたけの大きな声で、D組の布陣が一気にこちらへ攻め込む形に変わる。いつの間にかチームの中心になっているはたけを、俺は驚いて見ていた。

 

さっきまで、あんなに自己中心的でスタンドプレイ野郎だったのに。

 

それは、相手チームの生徒が、はたけを自然とメンバーとして受け入れているからだろう。そして、彼がチームの要だということを、肌で皆が感じ、付いて行こうとしている。

 

「はたけ!」

「―――おぉ!」

 

メンバーから投げられたパスを、地面に一度ドリブル。そして、また柔らかい動きで彼がボールに弧を描かせる。

 

リングに一度も触れることなくボールがネットに吸い込まれていくのを、俺は汗の向こうで輝くはたけの背中越しに、ぼんやり見ていた。銀髪が熱風の中でふわりと揺れ、すらりとした足が、腕が、空気を掻いてなめらかに伸ばされる。

余分なところに力が全然入ってない。撓った美しい手首に、背中に、俺は思わず見とれた。身頃の余る白いシャツが、体に逆らって羽の様にはためいている。

 

―――あ、

また、だ

 

彼に被さる大きな鳥のイメージ。銀色の混じる、美しい白い鳥が、はたけの向こうにフラッシュバックする。

 

また見えた、鳥――――

 

 

半ば無意識に、彼の生み出した体の軌道を目の奥に焼き付けていた。今の感覚、何か掴めそうだった。羽の様に翻る、空中を舞う美しい、白い腕。

 

自然と目が引きつけられながら、俺はまた彼に向って走り込む。

 

気がつけば、D組ははたけを中心に結束し、綺麗に統率の取れたチームに仕上がっていた。初めはおっかなびっくり参加していた生徒たちも、エリア外のクラスメイト達も、皆一丸となってはたけに大きな声援を送っている。

またきれいなミドルエリアからのシュートを決めたはたけが、ナイスなアシストを見せたメンバーに抱きつきに行く。皆の顔に笑顔が、あった。

 

こいつ、すげぇな

 

切れる息の合間、汗の滴る髪越しに見えたはたけが、こちらに向けてまた、大きなピースサインを出してくる。それに苦笑し、俺は目を細めた。

 

・・すごい、やつだ

 

はたけの放つ、リーダーシップ、といえばいいのか。彼のオーラに皆が惹きつけられる訳がわかった。

安心できるのだ。強く、真っすぐで揺るがない。

こいつを中心に人が群れる、ってのも、何だかわかる、ような気がする。

 

心の隅がふわり、と揺れるのを感じた。くそう、もっとやりてぇな。思いながら俺は壁に据え付けられた時計を仰いだ。夢中になっている内に、時間は飛ぶように過ぎていて、あと僅か数分を残す所にまで来ている。

 

は―――・・・いけるか・・?

 

対して点差は10点以上。かなり食らいついたが、それでもはたけを攻めの中心に置いたチームは強く、なかなか隙を見せない。

 

けど、最後まで諦めたくねぇな・・

 

諦める。それは、チームメイトにだけでなく、全力で勝負を吹っかけてきてる、あいつに対しても失礼だ。

思わず膝についた手が、微かに震えているのを感じる。限界に近い脚の筋肉が 小さく痙攣しているのだ。

 

―――なんだ、夢中になりすぎだし、俺。

 

そんな自分が可笑しく、下を向いたまま、ふふ、と笑う。息が上がって、自分の肩が忙しなく上下していた。

滝のように流れ落ちる汗が、髪をほつれさせ、頬に首に、身体中を滴っている。唇から洩れる熱い吐息が、胸を更に熱くさせた。束になって絡まる前髪の先端から、大粒のしずくが床にこぼれている。

Tシャツも何もかも、汗に濡れてぐっしょりと身体に張り付いていた。

 

こんなに必死になったの、いつ以来だっけか。

 

俺はまたひとり笑うと、がばりと顔を跳ね上げる。シャツの裾で濡れた顔を拭うと、解れた髪をもう一度結び直し、自分の頬を強く張った。

 

「・・・っし!残り、全力で行くぞォ!!」

 

腹から出した声に、A組のクラスメイトが一斉に歓声を上げた。

 

 

 

とにかく、あと1点でも多く、取りに行く!

残り時間をちらりと視界に収めながら、俺はまた相手サイドのディフェンスへ駆け込んだ。残り時間に気付いたクラスメイトも最後の追い込みを見せている。こちらの攻めは上々だ。だが、風のようにボールを攫ってゆくはたけに阻まれ、なかなか点数に繋げることができない。

2人、コントロールでディフェンスをかわした瞬間、また銀色の風が割り入ってくる。ステップバックで隙を見つけるが、抜け出せたのも束の間、すぐに体を反転させたはたけが、横薙ぎにボールをカットした。

 

「―――――ッ!」

 

腕に伝わる重い振動に、ボールが飛ばされたことを知る。考える間もなく、その銀色の背を追った。

ゴール下にクリアな空間が出来ているのに気付き、しまった、と喉から声が漏れる。その隙を見逃さなかったはたけは、開けた空間へ身体を投げ入れ、膝を撓ませた。

 

させない!

 

体当たりせんばかりの勢いで、カットインに滑り込む。食らいつくように奪ったボールは、パスを繋げたと思った瞬間に大きな音を立てて弾かれる。

再び手の中にボールを収めたはたけは、ふわりと跳躍した。お手本のようにきれいな、レイアップ・ショット。

 

届く訳がないと分かっていながら、至近距離で俺も合わせて飛び上がる。考える暇なんてなかった。ただ、無我夢中で伸ばした腕が、ゴール直前のボールに触れた。

スローモーションのように、はたけが目を見開くのが、眼前に見える。長い睫毛に、色の違う、雨と青空を混ぜ込んだような、透明な瞳。銀糸が靡いて、彼の白い腕がさらに上で撓るのが、見えた。

 

 

 

大きな、翼がはためく。

 

――――――あ・・・

 

真っ白な翼の先、3分の1が柔らかく撓って、進行方向を決める。残りの部分で抵抗を生み、空中を滑空してゆく―――

 

 

 

俺は思わず動きを止め、その美しい腕の描く曲線に見入った。あの、角度だ。撓る指先、ばらける指先。手首のカーブ。風切り羽の方向・・・

 

そのとき、ぶわりと目の前の羽根が俺の体を押しつぶした。はっと我に返った刹那、熱い人間の体が、空中で俺の体にぶつかる。重い衝撃で体が傾ぎ、慌てて着地した。

 

瞬間、

 

「―――――――!!」

 

右足から脳天に突き刺さるように、鋭い痛みが身体を駆け上った。バランスを崩し、咄嗟に左足で身体を支える。

 

「わり・・!うみのサン!」

 

同じく弾かれ、体勢を立て直したはたけがこちらに手を差し伸べようとするのが見えた。だが、ゴールループに阻まれたボールがバウンドし、床を跳ねたのを見た途端、俺は相手サイドへ向かって駆け出した。

 

「弾かれた!戻れ!」

 

ゴールされ損ねたボールはチームメイトがうまく回し、相手の制限区域内に走り込んだ俺へと繋がった。手薄になっていたD組のネットに向けて、俺は息を整える間もなく跳躍する。

 

踏み切った途端、足首に激痛が走った。しまった、と思った時には、指先で僅かに軌道をずらされたボールが、大きくバックボードに衝突していた。

 

はずし た・・・

 

歯噛みしながら、エンドラインを越えてゆくボールを目で追う。着地の瞬間、また右足から貫くような痛みが走った。

 

・・・・!!

 

生理的な冷や汗が、すっと背中を伝ってゆくのが分かる。足首が燃えるようだった。

時計を仰ぐと後5分少々だ。

 

「・・わりぃ!次は決めるぞ!」

 

俺は声を出しながら、周りに気付かれないようそっと足を踏み変えてみる。

 

―――大丈夫、まだ走れる。

 

だが、体重を少し右に預けると、途端に背筋を刺すような衝撃が伝う。それでも息を詰めて駆け出した。

興奮しているせいか、強い痛みを感じる前に 目の前のボールにつられて自然と足が動く。

 

大丈夫、普通に走れてる。皆気付いてない

 

チームメイトも先ほどと同じ陣形で俺にパスを回してきた。すかさずドリブルし、正面から突っ込んでいこうと身構えた、時、不意に脇から伸びた「手」がボールではなく、俺の腹のあたりへ巻きついた。

 

「な――――――!?」

 

然程スピードは出ていなかったものの、急な出来事に足を止められず、勢いのまま伸ばされた腕の上へと倒れ込む。

明らかに故意のファウルだ。時間に焦ったメンバーが、うっかり手を出しちまったのか?

咄嗟に腹部への衝撃と、地面に叩きつけられる覚悟をしたが、何故か腰に巻きついた腕はそっと俺の勢いを削ぎ、そのまま自分の方へ身体を引き寄せた。視界が反転し、地面に倒れ込んだが、俺が落ちたのは恐らく相手の体の上。

 

「ちょっとタイム」

 

響いた声に顔を跳ね上げると、見上げた先にはたけの整った鼻筋が見えた。掌を審判に向け、一時休止のハンドシグナルを出している。

 

「うみのサン、ちょっと足見せて」

 

息を弾ませながら、はたけが俺に手を伸ばしてきた。咄嗟に右足を引いてしまう。

 

「ふぅん、右 ね」

 

はたけが す、と目を細める。しまった、と思う間もなく、すばやく白い腕が足首を捕らえてきた。

 

「触んな!別に何ともねぇよ!」

「へぇ。じゃあ、これはナニ?」

 

引き戻した足を再び捕らえられ、踝少し下に軽く指を当てられる。と、それだけで右足に電流が駆け抜け、自然に身体が跳ねた。俺は俯いて声にならない呻きを上げる。露出した神経を直に撫でられているような痛みに、冷たい汗が一気に吹き出した。

 

「ごめん」

 

と、突然ふわりと身体が浮かぶ。え、と目を見張り、状況認識をするより先に、すぐ脇からはたけの声が聞こえた。

 

「審判、ごめんね。オレら二人抜けます。うみのサンに怪我させた」

 

「ちょ・・・お前!!」

 

まるで猫でも抱くように、易々と肩に担ぎ上げられているのに気づいた俺は、慌てて大きく体を捩った。

 

「なんともねぇって!降ろせよ!!」

 

なんだ、この状況は!大の男が担がれているという経験のない事態に混乱し、羞恥で顔が紅潮する。腰の脇あたりに見える銀髪を押しのけ、腕の下の背中を必死で掻き毟った。

 

「降ろせ!」

「あぁもう・・ちょっとおとなしくして。足に障るよ」

「――――――――っ!!」

 

びたり、と汗で冷えたはたけの指が右の足首に添えられる。全く力を込められていないのに、先ほどの痛みを身体が思い出し、俺ははたけの上で自然と硬直した。

 

「じゃ、そういうことなんで・・・あ、さっきのオレの、ファウル取ってくれていいよ。残り頼むね」

 

俺を右肩に担ぎ上げたまま、はたけはコートから駆け出て、そのまま体育館の出口を通り抜けた。あまりの突然な出来事に、硬直しながら俺は 彼の濡れた背中にしがみ付く。

 

 

同じく唖然としたクラスメイトたちがこちらを見送っているのが、視界の端に見えた。