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休日の朝の喧騒を跳び越え、慣れた電車にするりと潜り込む。 と、自分と同じモスグリーンの制服が目に飛び込んできた。続いて目に入ったのが、特徴的な 一つに結わえた黒髪。 あ 声に出す前に、向こうも気づいたらしい。手元の本から上げられた黒い双眸が、瞬く。 瞬間、こちらの姿は認めたようだが、僅かに逡巡したあと、その目はまた無言で、手元へと戻された。 あらら。 ・・わっかりやすいねー まだ知り合いにもなっていない段階の、「顔を知っている」程度の相手に対しては申し分ない反応だろう。彼の躊躇が手に取るように伝わり、はたけカカシは少し首を竦める。 若干の気まずさを空気に漂わせたまま、電車は発車する。 すいているわけではないが、ガラガラではない、適度な込み具合の車内を見渡すと、ちょうど彼の目の前の席が空いていた。 んー・・どうしようかなー 別に逃げなきゃいけない謂れもなし。せっかく空いている席を見逃す理由もない。カカシは、飄々とした足取りでその席にどっかと腰を下ろした。 だらしなく身体をずり落としながら、目の前の男を観察する。 襟元に留められたゴールドのエンブレム。そういう性質の人間なのか、足はゆったり伸ばしているが、背中から首筋がすらりと伸びていた。 着崩さず、かといって堅苦しくもなく 制服を普段着として着こなしている。そういう所を、カカシは好ましく思った。 制服の似合う人間には、好意を抱くことにしている。 「うみのサン」 声をかけると、相手は大きくひとつ瞬いた。黒目がちの眼が本から外れ、カカシの顔に驚きをもって注がれる。 「模試受けんの?」 初めて自分にはっきり注がれた視線に満足しながら、カカシは前に身を乗り出した。 「・・・俺の名前を知ってるのか?」 うみのが、心底驚いた口ぶりで呟く。 今度は、カカシが眼を瞬かせる番だった。 「・・アンタ、ソレ本気で言ってんの・・? ウチの生徒でアンタを知らないって、そりゃどんなもぐりだよ」 どうやら本気らしい彼に、思わず呆れて声がひっくり返る。へぇ、とか あぁ、といった相槌を喉の奥で打ったうみのは、すぐに興味を削がれたのか、また手元の本へと、視線を落とした。 そんなうみのを見、カカシは眉を跳ね上げた。長い睫のかぶさる瞳が、ぱちくりと見開かれる。 彼の端整な貌が、不機嫌に歪んだ。 オレを無視かよ。 かえって清々しいほどの無関心ぶりに、苛立ちを通り越して呆気に取られる。 ・・・なんというか、 物怖じしない奴だなぁ と思う。 「ねー、3−Aのうみのいるかサン。」 また自分に興味を向けさせるように、カカシは彼の名前を呼んだ。ややあって、再びうみのの視線が、ふらりと上げられる。 「この間は どうもね」 「なにが?」 「ケンカ、ガッコに報告しなかったっしょ」 「――――別に」 にやにやと笑って、カカシは自分の膝に肘をついた。そのまま、覗き込むように うみのを上目遣いで見上げる。 「アンタ結構、オレらに寛容っつうかなんて言うか。」 無関心、というわけでもないだろう。実際、目に余る暴力沙汰や悪質な虐めに関しては、生徒会長らしくうみの自身が仲裁に入っているのを何度か見かけた。 だが、会長が現行の「うみの」に代替わりしてからというもの、生徒同士の軽い諍いや、喧嘩などに対する粛正は 殆どなくなった。 だからといって、学校が荒れだしたわけではなかった。どこでどう処理されているのか、校内には大きな変化もなく、かといって悪くなっているわけでもない。むしろ、学校生活としてはかなり過ごしやすい部類に入る毎日を送ることができていた。 先代までの生徒会長は、賢い人間だったが、やたらと権力を振りかざし、どんな小さないざこざも見逃すまい、といった佇まいだったので、カカシもかなり辟易していたのだ。 此葉は他の高校と一線を画している。トップレベルの名門校となれば、その中枢となる生徒会の役員に選ばれるのは並大抵のことではない。他の生徒も皆、相当な難関を潜り抜けて入学しているだけに、その中のトップに立つことがどれだけ難しいことか心得ている。 故に、うみのが胸につける金のエンブレムには、校内外問わず 相当な効力があった。 そのバッジ見りゃ、大抵の奴らは手出しできんでしょーが。 カカシは内心 首を傾げる。不良生徒に対して怖気づくような人間には見えない。もっと、言い方は悪いが、折角の地位と権力を笠に着てもよさそうなものなのに。 「・・・べつに」 カカシの評価が不服なのか、うみのが憮然とした表情で言う。 「その理屈が通用すんの、バカにだけだろ。それなりに賢けりゃ、周りが見えてねーわけじゃねぇから放っといた方が 人間、自然に周りとの調和図って、うまく収まるじゃねぇか」 僅かに眉を顰め、カカシを見つめる黒い双眸が、つるり、と光る。 「自由、自主、自律。これのなにがいけねぇの?」 「・・・へ・・?」 見た目とは裏腹な、思いの他ぞんざいなうみのの物言い。予想外のそれに、カカシはあんぐりと口を開けてしまった。 なんだ、コイツ・・・。なんだか、生徒会長、ってガラじゃなくないか? 思わず動きを止めたカカシを見やり、うみのが ふう、と溜息を吐く。落ちかかってきた前髪を耳に掻きあげて、少し眼を眇めてカカシを見る。 「・・・で、あんたはどこ行くんだよ。3−Dのはたけさん」 ・・・あ、やっぱりオレの事は知ってるのね。 名前を呼ばれて我に返ったカカシは、間抜けに開いた口を笑みの形にむすび、さも当然といった調子で答えた。 「もちろん、模試受けにに決まってんでしょ」 「え・・・?」 「9時30分から12時45分まで英語・数学。1時間ちょっと休憩はさんで、14時から18時まで物・化・生」 でしょ? 覚えていたスケジュールを諳んじてやると、うみのは信じられない、といった様子で目を見開いた。 顔色が殆ど変わらないが、饒舌な目を持っているな、とカカシは妙に感心してしまう。 「・・今、オレみたいなやつが模試うけんの?って思ったっしょ。そーゆうの、偏見っぽくて嫌いだね」 自分の位置を知っとく事って、大事だと思うんだけどね。 言葉と異なり、全く意に介していない風のカカシは うみのの饒舌な瞳に向かってにぃ、と笑いかける。特に喧嘩を吹っかけようとか、そんな意図はなかった。誤解を受けやすい、率直な物言いは、カカシの性質だ。 だが、 「あぁ―――確かに、偏見だったかな。悪かった。」 「へっ・・?」 謝罪の言葉を口にしたうみのに、逆にカカシの方が面食らった。 「・・・アンタ、面白いなぁ。生徒会長サン。そういう時普通、オレみたいなやつの言うこと 否定するだろ」 言うと、うみのは困った様子で眦を下げた。 「や、あんたが模試受けてんのは前から知ってたんだけど。・・けど、こうして改めて言われてみるとほんとに意外で・・」 あんた、カバンの中に何にも入ってなさそうだったし。 うみのが鼻の頭を掻きながら、カカシの腰の辺りを指差す。背凭れとの間で薄っぺらく潰された 撚れたカバンには、確かに参考書はおろか、筆記具すら入っているか疑問だ。 カカシは自分のカバンを振り返り、あぁそういうことね、と納得すると、銀色の頭をバリバリと掻いた。 「勉強なんて、当日やってるようじゃ遅くない?」 その言葉に、うみのは目を丸くする。 「・・・確かに、それもそうだな」 一瞬の逡巡の後、ぱたんと手元の本を閉じてしまったうみのに、カカシは今度こそ呆れと驚きの混ざった笑い声を上げてしまった。 「―――ほんっとアンタ面白いなぁ!そこは否定しろよ」 大きく響いたカカシの声に、車両の客らが一斉に振り返る。それにちょっとカカシが首をすくめて見せると、うみのが少し笑みを浮かべた。 「実は、俺もちょっと思ってた。」 言いながら、読んでいた単語の本をしまう。脇に置かれていた彼のカバンも、カカシの物に負けず劣らず薄っぺらだった。 大きな駅に電車が止まると、ばらばらと席を立った客のおかげで 車両内は更に風通しが良くなった。 うみのの隣の客が降りたのを見、カカシは腰を浮かせる。 「ね、そっち行っていい?」 突然の申し出に、うみのはあからさまに顔をしかめたが、拒否もしなかった。それを遠回しの肯定と捉えて、カカシはひょい、と席を移動する。 列車が窓の外にたくさんの人影を過ぎらせて、走り出す。柔らかな春先の風の匂いが、車両の中を駆け抜けた。 腕が触れるほどの距離、カカシの重みで撓んだ席に、うみのが居心地悪そうに体を遠ざける。 「ちょっと。近ぇよ」 「いいじゃねーか。ガイジンはパーソナルスペースが狭いんだよ」 色素の薄い目を眇め、急にカカシはうみのの顔を覗き込む。 「・・・で。アンタどこの銘柄がすきなの?」 電車の音に紛れるように、意図的に声を潜めたカカシが囁きかける。 「は?」 訝しげに眉を顰めたうみのに、はは、と笑い捨てると 「とぼけんなよ。コレだよ、コレ」 と言って、カカシは煙草をふかす真似をした。 数秒の沈黙が、二人の間を 電車の立てる音とともに通り抜ける。 「・・・あんた、いつから見てたんだ?」 うみのの眼の中に、小さく炎のような熱の塊が見えた気がした。 「―――あのね。アンタだってションベンする時周り確認すんでしょーが。」 ケンカだってそれと一緒。一応、確認したときにアンタがいることは気づいてたからね。 こともなげに言葉を空に投げ、カカシは背凭れに腕を預ける。 で? 「何吸ってたの?」 「・・・チュッパチャップス」 間伐いれず返ってきた答えに、カカシは思わず吹き出した。 「なんだよソレ!普通におもしれェし!」 何だようみのサン、アンタ お笑いの方もいけんのかよ? けらけら笑うカカシに、うみのは心外だ、というように眉をひそめる。 「・・いいじゃねぇかよ、教えろよ。別に告げ口しようってんじゃねえし。 これでチャラってわけじゃねーけど、何となく お互い秘密があるってよくねぇ?」 カカシが眼を細め、探るようにうみのを見つめる。笑みを描く薄い唇に、切れ長の僅かに色の違う二つの瞳。彫りの深い風貌と相まって、彼の視線には一種抗いがたい魅力があった。 うみのは不機嫌に、その視線を断ち切るように眼を逸らした後、ふと、何かに気づいて鼻をひくつかせる。 「――じゃ、DJ MIX」 こぼされた言葉に、カカシが瞬間、息を呑む音が聞こえた。 そのまま視線を鋭くし、まじまじとうみのの顔を覗き込む。 「――――ほんと、面白いねぇ アンタ」 次の停車駅を知らせるアナウンスが響いた。 カカシは胸ポケットから、細身の桃色がかったパッケージを取り出す。それをそのまま、うみののブレザーの内ポケットにしまい込むと、上から軽く叩いた。 「お近づきのシルシに。やるよ」 射るようにイルカを見つめると、目を合わせたままカカシは席を立つ。 「・・今日は負けねぇからな。うみのサン」 電車が音を立てて停車する。 軽く手を挙げたカカシは身を翻すと、あっという間に人波を縫ってホームに消えた。 (・・・行っちまったし。) 一瞬 茫洋とその姿を見送ったあと、うみのも腰を上げる。 胸ポケットから伝わる、硬い煙草の感触。ポケットの中のDJ MIXをどうしようか、うみのはぼんやり考えたまま歩き出した。
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