オレの記憶の、一番最初にあるのは、石だ。

子供の頭にはあまりにも大きい、石。

額を触ると、べと、と手に滲んだ 赤黒い血。

キツネ、キツネと蔑む無数の声。常に擦り傷だらけの 節ばっかりが目立つオレの細っこい手足。

それを時折撫でた、しわしわの優しい掌。キセル煙草の焦げた匂い。

小さく降ってくる しわがれた謝罪の言葉。

 

―――それだけが全てだった。それがオレの世界。

だからオレは、爪を噛んだ。

寂しくて寂しくて、

でもどうしたらいいかわからなくて。

オレには泣き方を教えてくれる人さえ、居なかったから。

噛んで、噛んで、行き場の無い思いを、硬い小さな爪にぶつけた。夢中でそうした。

 

そのうち

蔑みの声の渦に、時折、オレを庇う張りのある声が混じるようになる。

目の前を過ぎる黒い影。オレを守る、大きな背中。

その背中は、いつの間にかふたつになった。

銀色の方の影が振り返って微笑む。「大丈夫?ナルト」と。

 

黒い影は笑いながら言った。

「ナルト、そういうときは 口笛を吹くんだ。そうすりゃ、口がふさがって、爪なんか食わなくてもすむだろ」

銀の影はオレの頭を撫でて言った。

「どうしても爪を噛みたくなったら、ポケットに手を突っ込んじゃうの。そしたら、手を口に持ってかなくていいでしょ」

暖かな二人の手は、どちらも小さな丸い爪を持っていた。

 

だからオレは、爪を噛むのをやめた。

気持ちを全部ポケットに詰めて、それが零れないように両手で蓋をして。そうして、大人のフリをして口笛を吹いた。

そうしているときの自分は、黒髪の恩師にも、銀髪の恩師にも似ていて少しうれしかったから。

オレは必死で真似をして、いつの間にか爪を噛まなくなっていた。

その二人も、もう、いない。

 

だからオレは、また爪を噛む。

 

 



   口笛より出ずる風に

 

 


薄く墨を纏った寂しい夕焼けの空に、定時を告げる鐘の音が響き渡った。

それをまるで 追悼の鐘の音のように思う。

優しい 今日最後の風が、オレの少し長くなった髪を揺らして、些か伸びすぎた腕や脚を掠めると 丘の下へと吹き降りていった。
オレは、肌蹴たまま羽織っていた忍服の袷を強く掻き合わせる。

緩い風に稲穂のように揺れるたっぷりした金髪は、なんだかとても重くて、

否が応にも 写真の中にしかいない“英雄”に生き写しになってきた、最近の自分の容姿について考えさせられた。

オレはぼんやりと、目の下に広がる風景を眺める。


里全体が一望できる、小高いこの丘。目の前に広がる、一面の灯の海。


人間の営みの、無数のきらめき。

 



風は、一体どこへ行くのだろう。


里中の人達の頬を撫でて、髪を揺らして


――――
ここから一番遠い所にある、あの慰霊碑まで届くだろうか。

 



膝に額を擦りつけるようにして、オレは足の間に顔を埋めた。そうしてまた爪を噛む。


久方振りに口に含まれた硬い欠片は、舌の上でいつまでたっても異物のままで
オレはその小さな居心地の悪さを愛した。

そして、少し笑う。ほら、センセ オレまた爪噛んじゃってるんだって。
早く止めにきなよ。爪なくなっちゃうってば。

膝の間に見える、夕闇に染まった下草が柔らかかった。オレは強く目を閉じる。

宵の闇に孕まれるちっぽけなあかんぼみたいに 強く体を抱き締めて 小さく小さく丸まった。もう何も、聞かなくていいように。

 

 

 

どれくらいそうしていただろう。

不意に舞い落ちてきたひとひらの木の葉が、すらりと伸びて音も無く人型をとった。
気配で分かる、身に良く馴染んだその雰囲気。昔よりもほんの少し、棘が少なくなった茨をオレは頭の片隅で思う。

 

「・・・やっぱりここかよ、ナルト」

 

闇に溶ける髪を持つ、しなやかに背の伸びた男が傍らに歩み寄る。
煩わしそうに、長めの黒髪を掻き揚げる仕草。艶やかな髪が指の間から音を立てて滑り落ちる。


オレが黙って顔を伏せていると、彼は苛立ちに似た舌打ちを零し、無駄の無い動きでオレの手首を掴み上げた。

「爪噛むなって言ってんだろうが・・・みっともなくなんだろ」

そう言ってオレの指を見て、それみろ、とでも言いたげに短い溜息を吐く。
忍服の袖から覗く白く骨張った、長い指がオレの手首に絡まっている。

できれば今一番会いたくなかった彼と目を合わせられず、オレは顔を逸らした。

「・・・ンで、来んだよサスケ・・・」

「お前が集合場所に来ないからだろ。オレだって好きで来た訳じゃない。上層部(うえ)から直々にお達し出てんぞ」

顔を上げさせようと、強く手を引いてくるサスケに、なお抗って顔を背けながら小さい子の様にいやいやと首を振る。

その様子に彼が業を煮やした。

「馬鹿野郎!!いつまでいじけてるつもりだ!!オイ、顔上げやがれナルト!!」

本気の力で引き上げられ、珍しく苛立った様子の彼と、無理矢理顔を突き合わさせられる。
彼の人形のように精巧な、白い顔と向き合う。

昔よりも精悍に尖った頤。きれいに肉が削げ、引き締まった長い手足がオレの目に絡む。

怒りの滲む切れ長の目は赤く、不思議な紋様を孕んでいた。カカシ先生と同じ、赤の瞳。

イルカ先生と同じ漆黒の髪は、冷えた大気に揺らされ、夜の静寂に溶けていく。

それでもその二つが、ひとりの人間の中に凝縮させられていて、本当に良かった、と思う。

こいつが、誰でもない、「うちはサスケ」という確固とした別人で、ほんとに良かった。


もし、どちらかの影をこいつが背負っていたなら、オレはきっと泣きだしてしまっただろうから。

 

「行きたく、ねェよ・・・」

小さく、つぶやいて目を逸らす。

本気で殴られるかと思った。
静かな怒気を流しながら闇に溶けていた彼が突然、明確な殺気を爆発させて強くオレの襟首を引いたから。


いつものケンカ癖で、反射的に睨み返したつもりだったが、目に全く力が入らず、眉が僅かに寄っただけだった。

きっと裏腹に、オレは縋るような顔をしているんだろう。

サスケの怒気が、軽い動揺に取って代わられ、それが程なく霧散するのを感じる。彼はオレのこういった目に酷く弱かった。

 

また、風が吹く。

「行けねぇだろ・・・なぁ、サスケ―――火影のバアちゃん、オレに『生きて帰れ』って言うんだぜ」


軽く俯くと、夕闇と一緒の色になった金髪が頬の横にさらりと落ちた。
視界の端に、足元いっぱいに広がる町の明かりが見える。

 


「この里の人達、みんなを守るために戦えって・・・けど、お前は絶対に死ぬな、って 言うんだぜ・・・」

 

行けねぇだろ、なあ。

この足元の光、みんながみんな、人間の命なんだ。
この灯りの下には、必ず生きてる、守んなきゃいけない人間がいるんだぜ。

こんなに沢山。気が遠くなるくらい、数え切れないくらいに。

 

そして思う。
これだけの人がいるのに、
じゃあ、どうして・・・

 

 

――――いけねぇだろ・・・」

苛々と爪をかじると、その手をそっとサスケが止めた。
彼を見ると、まるで見たことが無いような神妙な顔をしてオレをじっと見詰めていたので、オレはなんだか泣き笑いみたいな変な顔になってしまう。

整った、ちょっといいとこの人形みたいなサスケの顔。
色が白くて陶器みたいで、昔っからずっと 触ると砕けてしまうような気がしてた。

よくできたその顔はあまり表情が変わらなくて冷たい奴だと思っていたけれど、彼の青白い柔らかな耳たぶは、こういうとき、何よりも彼の本当の心をよく代弁して 薄っすら紅く染まる。

オレはそれを見て、いつも安心した気分になったもんだ。

こうして並ぶと、今じゃ、ほんの少しだけ オレの方が背が高い。
けど、伸び盛りのオレ達はたけのこみたいにどんどん大きくなるから、そんな小さな差なんか常に追い付き、追い越ししていて 本当はどちらが勝っているかなんて言える訳が無いんだ。

だけど、未だにオレ達はこの数ミリの差を張り合って 馬鹿みたいにケンカしたりしている。

若竹が撓るようにどんどん伸びる手足。
でも、頭ん中はそれに全然比例していかなくて、オレはいつもそのギャップを持て余して苛ついている。


そんな毎日だった。大人に手が届きそうな毎日を生きる、オレ達の日常。

子供の理論で、このまま、変わらないことなんて、何一つないと思っていた。

 

けれど。現実は。

夏草がちょっと見ない間にびっくりするほど大きくなっていて、それに驚く。あれと同じだ。
小さい変化はどんどん積み重なっていて、ぱっと気がつくと、世界は全く違う顔でオレを迎える。

変わらないものも確かにある。けど、全ては足踏みしているオレだけを置いてどんどん変わっていってしまう。

 

――――オレは、すっかりいい女になった サクラちゃんのことを思った。

サクラちゃん。オレの自慢のスリーマンセルの仲間。大切な友達。
ふわりといい香りの春風を纏う、はなびらみたいな女の子。理知的なツンと尖った鼻や、柔らかな曲線を描く額はそのままに、彼女は咲き誇る桜のような女になった。
風になびく髪からは、花が零れるような。ぬけるような肌に、薄紅を刷いた頬。長いさらさらの髪を締まった腰までたらして、まるで本で見た天女みてぇだ なんて思った。

あの子も、いっぱい恋をして、いっぱい泣いて女になって、いっぱい汗流して強くなって。



・・・けどさ。

2年前のあの日。

カカシセンセが任務からもう二度と帰ってこないって判った日にも、彼女はあのおっきい目に涙いっぱい溜めて
それでも、絶対に泣き出さないように身体中ぶるぶる振るわせながら、

『でも、カカシ先生は最後まで忍びだったもの。忍者として、最高の最期だったんだもの』

って言って。

泣きたいの必死に堪えて、結局最後まで一粒も涙こぼさなかったのに。

・・・オレ、大人のちゃんとした女の人が、あんなに乱れて泣き叫ぶのを、初めて見た。

昨日、初めて見たよ。

サクラちゃん、くの一の単独任務から帰ってくるなり、受付所でイルカセンセのこと、聞いてさ。
まるで世界が終わったみたいに、喉が潰れちゃうくらい声張り上げて。

叫んだ。

それは本当に突然のことで、未だに火影のバァちゃんに言われたことが理解できなくてぼんやり受付所に立ち尽くしていたオレは、
夢からまだ覚めきっていない 上手く回らない靄のかかった頭でその声を聞いた。

受付所は静まり返っていた。彼女はバァちゃんの目の前の机に取り縋って 身も蓋もなく泣き叫んだ。
淡い桜色の髪を散らして、乱して、真っ赤な顔中涙や鼻水だらけにして、天を仰いで。

彼女は泣いた。

 

 

「・・・なぁ、だって、どうすりゃいいんだよ」

オレは隣で、怖いような顔をしてじっとこっちを見てるサスケに、ちょっと笑ってみた。彼の耳が赤い。

 

「オレは馬鹿だからさぁ、こういうとき、この どうしようもない気持ち、どうやって言葉にすりゃいいのか、わかんねんだ。
・・・・けどさ、・・・けど・・・」

 

説明のつかない、心臓を焼き切りそうに激しい怒りが喉に競りあがって、オレの身体はがたがた震えた。
爪の先が掌に食い込んで血を流す。

 

「イルカセンセをやったやつ、子供だったんだぜ・・・」

 

 

 

オレはまた笑おうとして、失敗した。唇が無様に引き攣れるのを感じる。

どうしようもないこの思いの 答えを探そうとして、サスケの顔に視線を彷徨わせる。
彼の赤い瞳に、黒い髪に、彼自身に答えを求めて彼に縋る。

サスケの整った顔が歪んで、口がもの言いたげに開き、でもできなくて唇を噛む。


「どこの国の子供かもわからねぇ、ちっちゃな子供。親を人質に取られてさ、捨て駒にされてるだなんて・・・
そんなヤツ、センセがどうして殺せると思う!?

・・・・・オレのこの思いも、どこにぶつけりゃいいんだよ・・・」


オレは彼の首筋に縋った。僅かに屈んで顔を埋めた華奢な首筋は、思った以上に硬く、逞しかった。

 

 

 

“イルカ先生をころした子供は、自分の親を人質に取られていました。

そうして、木の葉の忍びをころせと命じられました。

子供の親を攫ったのは、木の葉が敵対している国の忍びでした。

その忍びもまた、身内を木の葉にころされていました。

木の葉は、自分の国を、里の人々を守ろうとして、その忍びの身内をころしたのでした。“

 

そして、その子供も人質も、結局みんな死んでしまった。
今日、オレたち木の葉の忍びには、その残党の殲滅という新しい任務が下された。

 

途切れる事のない憎しみの連鎖。

無限に増幅されゆく慟哭のループ。

 

 

 

 

 

「なぁ・・・どうして、イルカセンセじゃなきゃならなかったんだ?」

 

オレは、足元の灯を睨み付けた。

決して言ってはならない言葉が、口をつく。

 

この国には、こんなに沢山の人がいて、
沢山の人達は、守られなくてはならない存在で。

こんなに沢山の人がいたのに。なのに、どうして、

 

「どうして、オレの大事な人ばっかりなんだって・・・」

「・・ナルト・・・」

 

 

サスケの手が、オレの肩を抱こうとして、やめた。
彼もまた、何かを耐えるみたいに唇を引き絞って、それでもじっとオレを見ていた。

そんなサスケの顔を見て、2年前から弱く、弱くなってしまった胸の奥の堤防が、崩れたみたいになった。

 

「・・・・なぁ、サスケぇ・・・オレ、ひとりぼっちになっちまったよ・・・」

 

突然 独りきりで目覚めさせられた真夜中の赤ん坊のように。
例えようもなく大きな不安に押し潰されそうになりながら

オレは生まれたどうしようもない思いを 震える唇から溢れさせた。

 

「誰もいなくなっちまったよ・・・オレには、もうさ・・・もう」

また無意識に噛り付いた指先を、サスケの指が口から強く引き剥がす。

「んなことねぇだろ・・・みんな、いるだろ」

「違うんだ・・・ちがう。もう、いねぇんだよ・・・」

「いるだろ。もう、お前は昔のお前とは違うんだから。立派に里のために貢献して、上忍にまでなったんだから・・・
わかってんだろ、ナルト」

 

「・・・わかんねぇよ・・・」

 

 

また指が口に吸い寄せられる。それをまだ握ったままのサスケの手が硬く阻止した。
どうしようもない衝動に突き動かされて無意識にやろうとする行為を押し止められるのは酷く不快で、内臓がチリチリ焼け付くような感覚をオレに伝えた。

ムキになって彼の手を振り払おうとして、でもそれすらできないくらいの強い力で押し止められているのに気付き、オレはサスケを睨みつける。

「手ェ 離せ・・・」

「いやだね」

「サスケ・・・っ」

 

「嫌だ。離したら、またお前 爪噛むだろうが。

だったら、落ち着くまでこうしていてやるから。 ・・・だから」

 

だから。

 

サスケが深い深い瞳を揺らして、オレを見詰めた。

 

「もう、泣くなよ・・・」

 

 

 

 






 

――――泣く?

なんでだ。泣いてなんていないだろうが。

むしろ、笑ってんだぜオレ?

サスケ、なに言ってんだよ・・・

 

「もういい加減、受け入れろよナルト・・・」

 

・・・・彼の方が泣いているように見えたのは、何でだろう。
サスケが強い瞳でオレの目を覗き込んだ。その熱が、オレに彼のいる現実を強く知らしめる。

サスケが沢山言葉を探しているのが分かった。いつの間に彼はこんなに変わったのだろう。

オレはその彼の不器用な優しさに、胸を貫かれたようになる。

 

「カカシも、イルカ先生も、二人とも、お前の言ってた『一番カッコいい終わり方』で逝っただろうが。もうこれ以上、お前の未練でこの世に縛り付けて、どうするんだよ。
お前も知ってただろ?あの二人には、何か、深い結びつきがあったんだ。
どちらか片方だけが引き離されて、そうして生きていけるような、二人じゃなかった。

これで良かったんだよ・・・。これが、良かったんだ。」

 









――――あぁ、そうだった。

カカシ先生とイルカ先生。オレの大好きなふたり。
初めてオレを守ってくれた、二枚の大きな翼だった。
二人寄り添うと、まるで優しいつがいの鳥みたいだった。

 

 

「辛いのは、お前だけじゃないんだぞ・・・」

俯いたサスケが、絞り出すような声で小さく言う。




オレの手を掴む彼の手が震えているのに、オレは今更ながら気付いた。
自分の身勝手さに、身を引き裂かれるような思いで 唇を噛んで強く彼の手を握り返す。

彼の手は、似つかわしくないくらい熱かった。

 

 

ごめん。

ごめんな、サスケ。

みんな。罵倒してしまった人達。憎んでしまった、里の人達。

そんなこと、本当は、もうとうに分かってたんだ。そういうの、全部受け入れて、全部わかっててオレは忍びになったんだから。
今更どうこう言いたいわけじゃないんだ。こんなこと、言いたかったわけでもないんだ。

けど・・・

 

「・・・ごめんな、サスケ・・・オレ、お前といると、気が緩んじまう・・
・・・・こんなこと言うつもりじゃなかったのに。

やなとこばっかり、見せちまうよ・・・」

 

―――こいつもきっと、辛かったのに。

何も言わずに、じっとオレの勝手を聞いてくれていたサスケの優しさに、胸が痛くなる。
ただ、黙って 強く俺の手を握っていてくれるサスケ。
包まれた指先が、眩暈がしそうに熱かった。




そうか、こういうやりかたもあるんだな。

 

きっと先生たちは、一緒に手を繋ぐ方法を選んだんだ。そうして、爪を噛むのをやめたんだ。

 

 



―――そのときオレは、何よりもサスケの傍にいてやりたいと思った。



オレの傍にいて欲しかった。

ずっとこいつの傍にいて、こいつを守ってやりたいと思った。
こいつの手で抱き締められ、こいつのことを抱き締めたいと思った。

衝動的に表れたその強い思いが、無意識にオレの唇を振るわせる。

 

「なぁ、サスケ・・・オレのこと、好きになってくれないかなぁ」

 

突然のオレのつぶやきに、彼の細い肩がぴく、と震えた。
そんな彼を見て、オレは困って、眉を下げて少し笑う。

何言ってるんだろうオレ。

こんなの、なんて自分勝手な願望だろう。
寂しいからだろうか。この穴を体よく埋めてくれる存在が欲しいだけだろうか。





そうかもしれない。

 

・・けど、きっとそういうことなんだ。

今、オレは誰よりもこいつに傍にいて欲しいし、誰よりもこいつの傍にいてやりたいんだ。

 

 

「嘘でもいいからさ。オレのこと・・・

オレの一番にさ、なってくんないかなぁ」

 

顔を上げたサスケが目を見張る。
驚きの混じったその瞳には、確かに怒りが浮かんでいた。
きっと彼も気付いたのだろう。オレの身勝手な思いに。


けれど、怒気は見る間にうやむやになり、彼は所在なげにふらふらと視線を彷徨わせた。

そして、小さく吐き捨てる。

 

「馬鹿野郎・・・そんな顔で言うセリフじゃねぇだろ、それ」

 

忌々しそうに眉を寄せて、彼はオレの顔を見ると、また俯いて小さく舌打ちを零す。

 

「反則だ・・・」

 

そんな彼の優しさに、オレは小さな優越感と共に微笑む。
唇が、しょっぱい水で濡れていた。

 

「嫌か?」

「・・・あぁ、嫌だね」

 

言葉と裏腹に、そっぽを向いたサスケの耳たぶは、真っ赤に染まっていた。
夕日じゃねぇよな。だってもう、太陽は沈んでしまってるんだから。

 

サスケの耳から、色が広がった。

世界に色がつく。

そして突然、気付いた。

 

 

―――もしかしたら、どこかで命を落としていたのは、この目の前の彼かもしれなかったということに。

 

 



その瞬間、足元の灯り全てに、そこに集う人々の姿が見えた。

いまだ見たこともない、遠くの国の家々に灯る明かりを、オレは見た。

その灯りの下で、そっと身を寄せ合う無数の人々の影も。



そこには命があった。

お互いの命を守ろうと、必死で生きる人達の姿があった。

皆、自分の正義を貫こうと、必死で足掻いていた。

 





その世界には、どこにも 悪者なんて存在しなかったんだ。

 

 

オレの幼い二元論は、吹きぬけた風と共に砕け散った。

 

「・・・ナルト?どうしたんだよ・・・」

かっきりと目を見開いて、遠くを見詰めるオレに、訝しそうにサスケが声をかけてくる。

オレは動きを止めた自分をぼんやり認識した。
彼に、サスケに伝えたい。けれども一度動きを止めた身体を動かそうとするのはとても難しくて、言葉にすると、何かが違ってしまいそうで。
だから、オレは動くこともできずに、ただじっと、町の灯りを、その向こうを見詰め続けた。

そうしてゆっくりゆっくり、大事に言葉を探した。

 

「・・・オレ・・・オレさ、今まで“火影になりてぇ”ってだけで、必死で上を目指してた。
けど、その後どうするかなんて、全然考えてなかった・・・」

 

ようやっと呟いたオレの言葉に、サスケがこちらへと視線を戻す。

 

 

だけど、今なら分かる。

 

「オレさ、忍びが戦わなくていいような そんな世界を作る火影になるよ。」

 

 

もうこれ以上、悲しい思いをする人が増えないように。

 

 

だって、きっと、今まで憎み合ってきた沢山の敵たちにも、大事な人がいたはずなんだ。
この世の中全ての人が、自分の大事な人達を守るために 戦っているんだ。

誰が悪者かなんて、そんなものはきっと決められないじゃないか。

 

「だからオレは、みんなを守る火影になる。世界中みんなが戦わなくていいような、そんな世の中にしてみせる。」

 

 

 

 

言い切って、真っ直ぐサスケに視線を戻すと、唖然としている彼が目に入った。
心底呆れたように、目を丸くする。

「お前・・・そりゃまた、でかい話だな。
忍者から戦いを奪ったら、オレたち一体どうやって生きてきゃいいんだよ。」

 

「そんときは、便利屋でもすりゃいいさ。きっと重宝されんぜ。屋根の修理も火事の鎮火もお手の物!」

 

にっ、と笑って腕を掲げて見せる。我ながらいい考えだと思ったが、それを見てサスケがふぅ、と溜息をつく。

 

「・・・オレには、無理だな。オレには戦い以外の世界は、向いてない」

 

吐き捨てるように漏らされた言葉に、オレの心は強く痛んだ。
サスケの背負った黒い陰を認め、ぐ、と言葉に詰まる。

 

「・・・けど、」

そんなオレを見て、サスケが悪戯小僧みたいににやり、と笑った。

 

「・・けど、そういうのも、面白いかもしれねぇな」

 

 

ふわり と

オレのこころに、小さなつむじ風が生まれた。

 

 

 

「ま、まずはそのでかい口たたく前に 火影になってみろよ、ドベ」

懐かしい呼び方で呼ばれ、オレは思わず破顔する。

 

「おぉよ!なってやるさ!!見てろってばよ!!」

勢い付いてオレは叫ぶ。笑い飛ばしたつもりが、代わりに涙が溢れた。
馬鹿みたいに笑いながら泣いているオレの頭を、サスケがそっと抱いてくれた。

「・・・まぁ、そんな夢なら、一緒に見てやってもいい」

涙の向こうに見えたサスケの耳たぶは、夜目にも分かるほど真っ赤に染まっていた。

 

サスケは、ずっとオレの手を離さなかった。

 

 

 

なぁ、サスケ。

もう大丈夫だ。

オレ、また歩いていける。

オレの行くべき場所が、見えたから。

 

イルカ先生も、きっと 無限の憎しみの輪を断ち切ろうとしたんじゃないかな。そう思わないか。

―――そうして世界は変わる。少しずつだけれど、確実に変わっていく。
オレはもう、目を逸らしたりなんかしない。

先生はそっと、オレたちの背中を押してくれた。

だから、こっから先の道は、オレたちが切り開いていかなきゃいけないんだ。そうだろ?

 




サスケ、お前は信じるかなぁ。
今、お前の肩の向こうに、センセたちが見えるよ。


昔みたいに、二羽の優しい鳥みたいに 仲良く寄り添ってさ、じっとオレらの事、見てくれてるよ。

 

カカシ先生が、イルカ先生にそっと何か耳打ちして、オレたちに向かって手を振った。

イルカ先生は喉の奥で鳩みたいに幸せそうに笑って、笑顔でこっちを見詰めている。

 

 

―――うん・・・」

 

オレはサスケの肩越しに、二人に笑い返す。強い思いを込めて。
そしてまた、目を閉じる。

 

風が吹いた。

この丘で生まれた風は、一体どこまでいくのだろう。

 

 

それは多分、誰も知らないような遠い場所まで。

 

 

ならオレは、風が頬を撫でる人達みんなが、涙する事のないような世界を造るよ。オレがその涙を乾かす、風になる。

約束するからな、センセ。

 

 

 

 

 

今ならきっと、先生達に 笑ってさよなら言えそうな気がする。

オレはまた、大人の顔をして口笛を吹くから。
だからサスケ、

慰霊碑まで、そうしてオレの手 握っていてくれよな。

 

 

 

 

 

 

 

<終>



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

1234HITキリリク・末次ユキ様に捧げます。