今回、オレが7班の任務として引き受けたのは、木の葉の里から3時間ほど歩いた場所にある 大きな農園の手伝いだった。
木の葉よりも更に南にあり、温暖なその地域には 一足先に春の気配が訪れていて。驚いたことに、雑草の蔓延る広大な農地は、見渡す限りの花畑になっていたんだ。

任務も忘れて、歓声を上げながら飛んでいった子供たちに苦笑しつつ、その暖かく緩んだ空気と、鼻を擽る甘い薫りに思わず目を細める。


この地域では、今 沈丁花が盛りだ。其処此処で心地良い香りを振り撒く小さな花が、我先にと競うように咲いている。

あんまり綺麗だから、アナタにも見せたくなって。一房持って帰ろうとしたんだ。

 

けど。

 

 

好きと溜息と沈丁花

 

――――カカシがそれに気付いたのは、偶然だった。

ふう、と。

小さく漏らされた溜息。

それは、言うなれば 幼い子供が手に入らない玩具を悔いて吐くような。

 

 

いつもの通り、7班の任務の後里に着くと、カカシは一直線にイルカの家へと向かった。

任務自体は夕刻には既に終わっていたので、本来なら日没までには里へと帰りつける予定であったが、思いもよらない足止めにより、カカシが木の葉の大門を潜ったのは 実に月が中天にさしかかろうかという時刻であった。

子供を先に帰しておいて正解だった・・・と、カカシは心密かに安堵する。

シャッターが下ろされ、人気の無い商店街の中を歩く。蒼い空気の中に、薄く埃の臭いと、人の営みの残り香を嗅ぐ。花の匂いは、まだしない。

幾分空気は和らいできているが、まだ夜の空気は肌寒い。木の葉に春が訪れるのは、もう少し先のことになるだろう。

通り外れのイルカのアパートにも、既に明かりはない。寝てしまったのかな、と少しカカシは申し訳ないような気分になる。
けれど、どうしても会いたい。自分が行けば、あの人はいつものように迎え入れてくれる筈だから。深く考える前に、アパートの階段に足を掛けている自分に苦笑する。

 

「イルカセンセ〜〜〜〜!!!会いたかったです〜〜〜!!!!」

「何言ってんです。昨日会ったばっかでしょ」

予想通り、カカシの気配に敏感に気付いて開けられた玄関のドアに滑り込むなり、カカシはがばり、とイルカに抱きついた。

「いいじゃないですか!愛してますよ〜イルカセンセv

よしよし、と 半ば呆れながらも、上背のあるカカシの背中を宥めるように叩くイルカの手。肉厚のそれにカカシがうっとりと身を委ねていると、その手が、瞬間 ぎこちない動きで止まる。

――――

「・・・・・・メシ、食いますか?面倒だったんで、出来合いの惣菜の残りしかないですけど」

「あぁ?あ、じゃ呼ばれてもいいですか?」

えぇ、と普段どおりの微笑を浮かべるイルカに、カカシはちらりと感じた違和感を飲み込んだ。

そして、イルカがカカシの腕を離れる一瞬。

ふう、と

カカシの耳の端に引っ掛かった 吐息。

それは、例え忍びであっても普段なら気付かないような 密やかな音だった。
実際、ひょっとしたら只の呼気だったのかもしれない。
けれどそれは何かの言葉の延長のように、密やかに 腕から離れるイルカの残り香のようにカカシの中に蟠った。

え、と問うまでも無く、するりと抜けた彼の姿は台所へと消える。掌に残る彼のぬくもり。

・・・・

――――別に、いつも通りの日常だ。

カカシがイルカの家を訪ねる。それは任務の帰りであったり、特別何も無い休日の空白の時間だったりする。

イルカが家にいれば、ごく自然に中へと入れてくれ、ささやかな食事を出してくれたりもする。
二人で取りとめの無い話をして、笑いあう。
時には何もせずに、ただ、二人でまったりぼんやり空を眺める時もある。

イルカのアパートから見上げる空、それは、電柱と狭い窓枠で切り取られた小さなものだったが、
その空を桜の花びらが舞い、真っ白な入道雲が隙間無く覆い、真っ赤な夕日と落ち葉が通り過ぎて、そして、そこから粉雪がシェルターのように引っ切り無しに零れ落ちてくるのを二人で見た。


そして、また 春。

カカシがイルカに告白してから、一年経つ。

二人がこうした親密な関係になる随分前からカカシはイルカに会うごとに「好きですイルカセンセ」「大好きですよ」と繰り返していたので、いつが本当の告白であったかなんていうのは、実際の所良く分からないのだが。

けれど、それこそ二人で寄り添うようになって、随分経つのだ。
そして、それはもう、ごく自然なことのように 二人で肌を重ねあう。この日常に溶け込んだイルカの後ろ姿を見るのも、もう、随分な回数になる。

だが、そんなイルカの背中に感じる、一抹の違和感。

――――ね、イルカセンセ。どうかされました?」

「何がです?・・・別にどうもしていませんが?」

簡単に惣菜を温め、盛り付けた皿を目の前に置かれて、どうぞ、と促される。目線の先には、温かな笑顔で微笑むイルカ。
解いて肩まで下ろした黒髪が、一層彼の笑顔を柔和に見せている。

だが、その鉄壁の笑顔が所詮表面上のものであることを、カカシは知っていた。
受付では誰もがほっと息をつけるような暖かな笑顔を振り撒く彼。

けれど、イルカだって陰では愚痴だって言うし、弱音だって漏らす。

「うそ。アナタ、何かオレに隠してるでしょ。・・・何か言いたいことでもあったんじゃないですか?」

「いえ?何もありませんが。あ、任務ご苦労様でした」

軽く頭を下げ、そしてまた、笑顔。

――――こうなっては、例え何かあろうと絶対に話し出すイルカではない。カカシは心の中で両手をあげると、ふ、と溜息をつく。その溜息に、イルカの肩が軽く揺れるのが見えた。

――――何、イルカセンセイ」

「だから別に、何も」

「今、なんか変でしたよ。何か考えたでしょ。言ってよ、何?」

「だから何でもありません」

「うそ」

「何なんです。何でもありませんったら」

「・・・・・」

もう、この強情っ張りめ。

 

――――――わかりましたよ、もういいです」

もう一度盛大に溜息を吐いてみせ、カカシはイルカをちょいちょいと手招きした。そのまま腕の中に抱きこむ。
まだこの家に来たままの恰好でベストすら脱いでいないが、まぁ、構わないだろう。

巻物のホルダーが居心地悪いのか、イルカが軽く身を捩る素振りを見せた。
彼に配慮して少し力を緩め、カカシは長い黒髪を掻き分けて項に鼻を埋めると、低く囁く。

うっすら湿った洗い髪と、石鹸の香りが淡く鼻を掠めた。

 

「好きですよ、イルカセンセイ」

 

――――途端、イルカが動きを止める。

カカシの言葉に硬直したように。

 

そして、ふう、と

あの、溜息。密やかな、密やかな。

 

(・・・・・?)

――――なんだ、こんなの 何千回と聞き慣れた言葉だろう?

「愛してます・・・」

言いさし、彼の頬を掬って合わせようとした唇は、今度こそはっきりとイルカの手によって拒絶された。

肩を、強く押されて引き離されたカカシは、呆気に取られてイルカを見詰める。

少し俯き加減で顔に落ちかかったイルカの黒髪。そこから覗く漆黒の目が、つるりと光った。

彼の顔には驚くほど表情がなかった。いつもの表情豊かな彼からは考えられないほどに。蒼白な顔に、薄い唇の色。

いつものイルカとは違うそれが異常に空恐ろしくて、カカシは思わず息を呑む。その一方で頭の端で、そんなイルカの様子は酷く扇情的だ、とぼんやり考える。

 

「・・・馬鹿みたいだ・・・」

 

イルカの顔が吐息と共に歪められ、自嘲気味に吐き出された言葉には、聞いた事のないような棘が含まれていた。

 

「イルカセンセ?」

 

 

 

――――どうして、好きだなんて言うんです」

 

「え・・・?」

冗談を、言っているのかと思った。瞬間、カカシの反応が遅れる。それを見てイルカは、苦しそうに微笑する。

「そうやって笑って。好きだって言って愛してるって抱きしめて。顔を合わせれば『好きです』『愛してる』・・・もう、数え切れないくらい聞きました。

けど、それはあなたの本心なんですか?」

「・・・本心ですよ――――ちょ・・・イルカセンセ、どう、したんです?」

カカシの言葉に、イルカはちょっと微笑んだ。けれどそれはいつもの笑顔ではなく、どうしたらいいのか解らない、といった途方に暮れた子供のような、悲しい笑顔。鉄壁の笑顔の裏に隠れた、彼の素顔。

「・・・突然、変なこと言い出したって、思ってますよね・・・俺も困ってます。できればあなたにこんなこと、言わずにいるつもりだったのに・・・。でも、ずっと思ってたことなんです。どうしても、気になって、考えてしまって・・・」

カカシの肩から、すっとイルカの手が離れる。熱い体温を失って、思わずカカシは身震いした。

イルカが、意を決したように一つ息を吸う。

 

――――あなたの言葉は信じられないんです、俺」

 

離した手をぐ、と腹の辺りで握り締め、イルカは少し笑って見せた。

 

「いつでも言いますよね、あなた。アカデミーでも町の中でも。『イルカセンセイ好き』『愛してますよ』って。俺が止めてくれって言っても聞かない。往来でキスをせがんだことだってありますよね。そうして笑って。好きだって言って。――――――――でも、一体何人にそうやって『好きだ』って言ってんですか?」

「ちょっとイルカセンセ!、何言って・・・」

瞠目したカカシの言葉は、イルカの小さな溜息一つで掻き消される。

 

「知ってますカカシさん?人の言葉の重みってね、沢山言葉を重ねるほど薄っぺらくなっていくんですよ。

・・・解ってます。あなたは、里の上忍だ。優秀な血を残すために子孫だって作らなきゃならない・・・――――あぁ、違う・・・こんなことが言いたいんじゃなくて・・・」

「イルカ先・・・」

「あなたは綺麗です。実力も地位もある。・・・ずっと・・・なんで、俺なんかに構うんだろうって、ずっと思ってたんです。言い寄る人も沢山いるでしょう。知ってます解ってます。男なんだから当然、最後には女の所へ行きたいでしょう?だからね、俺はずっと、ただの戯れでも構わないって、それでもあんたみたいな綺麗な人が俺に構ってくれるならって、そう 思ってたんです・・・」

でも

「そんな風に笑いながら、何でもないことみたいに好きだ好きだ言わないでください・・・」

 

一度も目を合わせようとしないイルカが酷く遠い人になったようで、ひたすらに怖かった。

絶句するカカシの前で、イルカは泣きそうな顔で少し笑う。

 

「その沈丁花の香のひとは騙せても、俺は騙されませんよ・・・」

 

 

 

 

沈・・・・丁 花?

 

 

 

カカシの目に、初めて俯くイルカの姿が、実体として映った。

 

 

――――ちょっとイルカ先生。アンタ少し黙んなさい」

さらに言葉を紡ごうとしたイルカを力尽くで抱き寄せ、その口を塞ぐように自分の胸に顔を押し当てた。無理矢理に頭を押さえた手の中を滑る、硬くて艶のある黒髪。熱い体温。

イルカが弾かれたように暴れ出す。

「嫌だ!やめろ!!こんな、誰かの匂いが残った所なんて 嫌です!!」

「だから、イルカ先生 違う」

「何が違う!!ナルト達でも、日が沈む頃には帰ってきてたんだ!こんな遅くまで、何してたって言うんだ!!」

「黙って先生」

イルカの喉から飛び出した言葉は叫びに近かった。震える体を宥めるように 優しく抱き締めた肩を擦ってやる。

やがて抵抗は嗚咽になった。

 

「・・・俺は、それで良かったのに・・・気付かないままで、それで 良かったのに・・・」

かくりと力が抜け、俯いたまま肩を震わせる。

 

カカシはその肩を、ゆっくりゆっくり撫でた。

イルカの肩にぴたりと張り付く、温く湿ったシャツ。掌に伝わる、熱い体温。髪と肌と、薄い石鹸の匂い。

・・・そして、馬鹿になった鼻で気付かなかった 密やかに漂う、沈丁花の香り。

 

 

 

――――ね、イルカセンセ」

どれくらいそうしていただろう。イルカの背を撫でながら、静かにカカシが口を開いた。

「・・・きれいな女が、いたんです」

 

――――――――っ!」

話される内容に敏感に勘付いたイルカが、再び腕の中で藻掻いた。

「嫌だ・・・っ!!そんな話、聞きたくありません!!」

「聞いて先生」

暴れる大の大人を柔らかい仕草で、それでも強く強く胸に抱き締めて動きを封じると、カカシは落ち着いた声で続ける。

「よく聞いて。『いた』んですよ。・・・上忍だったけど、強くてたおやかで。オレにだって優しくてね。ほんと、しつこいくらい優しかったんです。

オレは彼女のことが好きでした」

 

けどね。彼女、死んじゃって。

「そりゃもう、あっさりしたもんでした。Aランクの任務で、敵の小太刀でたった一突き。

急所に入ってたからね、無理だとは思ってたけど。

――――それでも、そんなあっさりと一人の人間がただのカタマリになってしまうことにね、なんだか呆然としてしまったんですよ。これがオレたち忍者ってものなのか、ってね。」

何処からか、冷たい空気が ふらりとカカシの前髪を揺らした。

居間の安い蛍光灯が、チリチリと小さな音を立てる。

 

――――――――オレ、好きって言えなかったんです」

まだ若くて馬鹿だったから、何もかもに反発してて。彼女が優しくてくれてもね、ずっと邪険に扱って。彼女がいるとざわつく胸の内がうざったくてね。

・・・本当は、自分を受け入れてくれたことが、胸掻き乱されるほど嬉しかったのに。

「凄く好きだったんだけど、言えなくて。とうとう一度もいえなくて。

死ぬほど後悔したんだ」

ね、聞いてる?イルカセンセイ。

――――だから、次に好きになった人には、死ぬほど好きって言ってやろうって。オレがいなくなるそのときまで、満足して思い残すことがないくらい、好きだと伝えようって

――――そう、思ったんですよ?イルカセンセ」

 

いつの間にか抵抗を忘れて大人しくなっていたイルカに微笑みかける。俯いたままのイルカの表情は判らなかったが、その漆黒の髪に柔らかく唇を落として。

「オレの言葉、薄っぺらいですか?・・・なら、もっと積み重ねてやりましょう。山ほど重ねて、アナタが窒息するくらいにね」

「・・・・・っ!!」

それでもまだ何か言いたげに顔を跳ね上げたイルカの鼻先を、小さな白いものが掠めた。

 

頬を 睫毛を 髪を・・・掠めて後から後から降るそれは、胸が詰まるほど甘い芳香を撒き散らして。

柔らかな淡い色の花弁が、薄い肌をなぞって次々に落ちてくる。まるで、名残雪のように。

イルカは言葉を失った。

「それと、もう一つ」

全ての沈丁花を零し終わったカカシの白い手が、そっとイルカの頬に添えられる。カカシの掌から薄く漂う、甘く儚い香り。

「オレは 浮気なんてしてません」

カカシの掌の中で、イルカが瞳を揺らした。正体なくふらりと上げられた視線を、カカシが真っ向から見つめ返す。真っ直ぐ、目を逸らさずに。

 

「あんまりきれいだから、アナタに見せたくなって。一房持って帰ろうとしたんです。

・・・けどね、駄目なんだ。バラバラになっちゃう。摘んでも摘んでも、傍から散ってしまうんです」

摘んでも摘んでも、弱い小花はすぐに額を離れて散り散りに地面へと落ちて行く。手の中に残るのはほんのちっぽけなカタマリだけ。

――――いつの間にか、夕闇が迫っていた。自分の手を、白い沈丁花の花を緋色に染めて。

 

それは、鮮血の色だった。

何故だか、酷く恐ろしくて。必死になった。

この花を摘めなければ、アナタを失う、・・・なぜかそんな気がして。

 

――――大人気なく、ムキになっちゃいましたよ・・・はは。気が付いたら、もう、真っ暗でした」

――――――――・・・・」

呆然とカカシを見上げる黒いイルカの瞳に、見る間に涙が盛り上がった。

「遅くなってごめんね、イルカ先生」

顔に乱れかかる黒髪を優しく梳き上げ、カカシはその頭をそっと抱える。イルカが何かを訴えかけながら、必死でカカシのベストを強く掴んできた。嗚咽に紛れ、喉に引っ掛かった声は意味を成さなかったけれど。

カカシは、その背を強く抱き締め返す。

 

 

――――ね、一つだけ いい?イルカセンセ」

とんとんと背中を叩きながら、トーンを落とした声で静かにカカシが言葉を降らす。

 

「アナタさっき、“こんなこと言わないつもりだった”って言いましたよね。

――――それって、何?聞きたいことがあるなら、どうしてオレに言わないの。

アナタがそうやって作ってるのは、逃げ道ですよね。

それだけ、オレのことなんてどうでもいいですか」

「・・・・・っ!!」

びくりと身動ぎし、うっすらと紅を刷いた顔でこちらを凝視してくるイルカに、カカシは少し目を細めてみせる。

 

「正直、ちょっと腹立ってたんですよ」

いつだってアナタは何も言わないし。オレはそれでもいいと思ってたけど、でもまさか、自分がそこまで気持ちの中で排除されてたとは思わなかったから。

「違う?イルカ先生」

――――――――・・・」

 

 

イルカの漆黒の瞳が、大きく揺らいだ。真っ赤になった目尻、何か言いたげに震える唇が、開き、また結ばれる。

喉から意味を為さない音が一筋、洩れた。

それでもしっかりと掴まれ、離される事のないカカシのベスト。強く掴まれたそれが大きく引き攣れ、皺になるのを感じる。さぞかし、手が白くなるくらい握り締められていることだろう。カカシはそこから伝わる熱を感じて、思わず破顔した。

 

「・・・・・なんて、うそ。

あんたがあんまりなこと言うもんで、意地悪しちゃいました」

 

 

ごめーんね?、と 悪戯の後のように茶化して謝るカカシ。

イルカの目が呆けたようにカカシを映す。その漆黒の瞳に、再び淡い靄がかかった。

 

「・・・違い・・・ません」

 

「イルカセンセ?」

 

「違いません・・・・・違わない!俺は、いつでも逃げられるように、逃げ道を作りながらあなたと一緒にいた・・・

いつだって、あんたを失うことにびくついて、そのくせ、俺は手を伸ばそうともしなかった・・・」

 

 

「もういい・・・センセ、もう いいです」

卑怯だ、俺は、と俯いて震えるイルカの肩を抱き、カカシはその顔に頬を押し付ける。

 

「もう、いいです」

アナタの心は、みんな あの溜息の中に。

あんな、甘く切ない溜息を吐いておいて、オレが気付かないとでも?

あんな、愛しくて手に入れたくて堪らないといった溜息を吐いておいて。

 

「だから、もういい・・・」

 

 

 

「カカシさん・・・」

 

す、とカカシのベストを離したイルカが、じっとカカシの顔を見詰めて。涙の後の残る赤い顔。不器用な泣き方しか出来ない、イルカの素顔。

そして、静かに、でもはっきりと告げる。

 

「キス、してもらえませんか。―――――――してください」

 

イルカの髪に絡まっていた沈丁花の白い花が、ゆっくり滑り落ちる。

真っ直ぐな黒い目に確かに自分が映っていることを見て取って、カカシは に、と笑った。

 

「・・・・こんな薄っぺらい男のキスでよければ?」

「・・・こんな嫉妬深い男にしてくださるなら」

 

「喜んで」

笑って、今日初めてのキスを、イルカの唇に落とす。

何度も貪るように深く合わせられる唇。口付けは、甘く切なく、沈丁花の香りがした。

 

 

 

 

 

 

カカシさん。沈丁花はね、花だけ取ろうとしたって駄目なんです。

あいつらは小さくて弱い花だから。無理に離してしまうとすぐに枯れてしまうんだ。

だからね、離さないように、一緒に。枝から手折ってやらなきゃ いけないんですよ。

 

 

苦笑交じりにそう教えられたイルカセンセの言葉通り、暫く後には枝ごとの見事な沈丁花が先生の家に飾られて。


そして、オレはこれからも彼に

「好きです」と言い続ける。

 

 

 

 

<終>