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彼はいつだって、自分から欲しい物を口にしなかったし(ストイックな人なんだ)
特に執着しているものも考えられなかったから(趣味も風呂以外はあんまりこれといって無いみたいだし)
だから、毎年彼の誕生日にはオレの好きなものを彼に贈っていたのだけれど。
それでも、彼はオレの贈り物を喜んでくれているように思えたし、それらを大事に使ってくれてもいたから、
けど、本心はやっぱり
彼が本当に欲しい物を贈りたいじゃない。
幸福な皿
「カカシさん・・・俺、我侭言ってもいいですか」
だから 今回もまたオレが何かしらを見繕ってプレゼントすることになるんだろう、なんて考えていたから、
まさか彼からそんな答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。
思わず瞠目してしまう。啜っていた食後の番茶が、湯飲みごと膝に落下しようとする
・・・のを、手前から素早く伸ばされたイルカセンセイの腕がはっしと掴まえて阻止した。おぉ、さすが忍者。
「感心してる場合じゃないでしょう!?全く・・・そんなに呆然とせんでくださいよ!
「いやいやいやいやッ!!!!」
卓袱台の前で恥ずかしそうに顔を赤く染めて、傷を掻きながら俯いてしまったイルカ先生の肩を
「そんなッ!是非!!我侭言ってください!!!何だってプレゼントしますからッ!!」
アンタが頼むんだったら国のひとつくらいはプレゼントしちゃいますよ?位の勢いで鼻息荒く先生の手を握り締めると、彼はオレの剣幕に一瞬呆気に取られた後、ぶっと吹き出した。
「む!?ヒドイ・・・笑いましたね!?オレ、ほんっとうに先生の欲しいもの知りたくって、毎年頑張ってるんですよ?」
「はは・・・す、すみません・・・ありがとうございます、本当に」
そう言ってはにかんだ様に微笑まれてしまえば、もうそれだけで何もかも忘れてしまえるオレは、相当参ってるな。
小さな卓袱台越しに手を握られて迫られている、というこの滑稽な状況に気付いたイルカセンセイは もう一度あははと笑うと、恥ずかしそうにちょっと目線を下げて言った。
「皿がね、欲しいんです」
―――次の日。
イルカセンセイの誕生日。
オレは朝から任務も何もかもすっぽかして、木の葉の商店街へと走った。
“・・・木の葉の中央商店街にあるんです”
まだシャッターを開きかけたばかりの人通りの無い商店街を駆ける。
“八百屋と乾物屋の間の角を曲がった所にある、小さい道具屋なんですが”
野菜を店頭に並べかけている八百屋の前を行き過ぎそうになって、慌てて立ち止まる。乾物屋はまだ閉まっているせいで、朝の色の無い匂いが野菜の青臭さに映えた。
角を曲がる。
―――あった、ここだな。
オレは、その店が既に開いていることに安堵した。いや、例え閉まっていたとしても、無理矢理開けて貰うつもりだったけどさ。
窓越しに沢山の皿やら鍋やらが並べられていることを確認し、オレは立て付けの悪い扉を軋ませて店に入った。未だ薄暗い店内に低い太陽が流れ込み、なんてことは無い道具たちを不思議なもののようにきらめかせている。
きらきら、きらきら。
イルカセンセイの言っていた皿は、すぐに分かった。
「これ・・・?」
“青い、硝子の皿があるんです。店を入ってすぐのところ”
歩み寄って、その繊細な壊れものにちょっと躊躇したあと、そっと手を伸ばしてみる。
その値段を見て、オレは拍子抜けしてしまった。
彼があれだけ躊躇ったのだから、さぞかし高価なものだろうと想像していたのだが。
・・・決して安物では無い。が、高いわけでもない。
“青い大皿なんですが。綺麗な蒼なんです。夏に食卓に上げたら、きっと涼しくていいだろうなぁと思いまして。”
また、手元に目線を落としてみる。
なるほど、綺麗だ。
ぽたりと丸い縁はそこだけ分厚いために藍が濃く、そこから真っ青な海がなだらかに広がっている。
ふと、オレはその皿の腹に、一匹の魚を見つけた。
流された色素が一箇所だけ濃く固まってできたその姿は、小さな流線型をしていた。小さく小さく、偶然が重なって生まれたその魚は、今まさに大海に挑もうとしているようにも見える。
掻き消されそうに小さな形をして、それでもその青は確かに他とは相容れない確固とした姿で 果ての無い世界に泳ぎ出そうとしていた。魚の姿をとったそれは、群青の粋に新月の空を溶かし込んだような深みのある色で。それはまるで
・・・イルカセンセイの纏う雰囲気のようだ。
この広い海に、たった一人きりで。
オレは思わず、息を呑んだ。
“夏に、食卓に上げたら涼しいだろうなと思って”
―――あぁ、確かに涼しげだろう。こんなにきれいな青なんだ。
・・・けど、オレはこんなに寂しい青は知らない。
(イルカセンセイ・・・)
オレは、呼吸を忘れてその皿をじっと見詰めた。
この青は、まるで涙の色だ。
この小さな一匹の魚の流す、孤独な涙。
一旦意識してしまうと、もう自分の抱いた先入観から逃れることは出来なくなった。その小さな魚に、何故だか彼を重ね合わせてしまって。
―――何も、誕生日にこんなものを贈らなくても・・・
寂しさを湛えたその皿に、思わず落ち着かない気分になる。
そうだ、もっと明るい色のものを一緒に贈ればいい。橙や緋色の上薬の掛かった皿とか、そういうのを幾つか。
そう思ったところで、すぐさまそんなことは出来ないことに気がつく。
とても大きいのだ。掌をそっと宛がってみたが、オレの両手では利かないくらいに。
イルカセンセイの小さな部屋には、卓袱台代わりの炬燵机がひとつきり。この青い皿を乗せてしまえば、きっと他のものを置く隙間なんてなくなってしまうだろう。それどころか、あの小さな机に収まるかどうかも怪しい。
彼は果たしてそこのところ本当に分かっているのだろうか。ちゃんと測って、確かめてはみたのだろうか。もしかして、オレに高いものを贈らせまいとして、適当なことを言ったのではないか?・・・と思わず考えてしまうほど。
それほど、その皿は大きかった。
皿の前で逡巡していると、店の主が奥からのそりとやって来た。
「おや、いらっしゃい。こんな早くにまぁまぁ」
そう言いさし、オレの手の皿を見つけ、驚いた顔を見せる。
「あれ、その皿ですかい?」
「あぁ・・・ええと」
返事に詰まり、オレが困って皿と主の顔を交互に見遣ると、彼は店の電灯に灯を入れながら小さく一人ごちた。
「・・・あぁ、じゃあ あの人には気の毒なことになってしまうねぇ」
「あのひと?」
「いやね、随分前からこの皿を酷く気に入って、毎日覗きに来てくれるお客さんがいてね。けど、何故かいつも見るだけで、他の小さい皿を買っていってしまうんだよな。そうそう、その人も忍者だったなぁ。ここんとこに傷のある―――」
「買います、これ。」
そう言うと、主は目を大きく見開いて、驚いた、といったように肩を竦めてみせた。
「よっぽどお気に召したんだね。・・・前の人には気の毒だけれど、お客様だからお売りするのは当然だよ。」
そう言って几帳面にその皿を包みながら、オレににこりと微笑んだ。
「それで、ご家族にかい?」
なぜかは分からない。けれど、イルカセンセイは本当にこの皿が欲しいのだ。それだけでもう充分だった。
初めて彼の望むものをプレゼントできることにオレはもう有頂天で、任務もそこそこに(子供たちはあからさまにオレの大荷物に不信げな顔をしたが)彼の待つ家へと舞い戻った。
「イルカセンセイ!!」
まるで大手柄をしでかした子供のように、靴を脱ぐ間ももどかしく、きれいな和紙で包まれた誕生祝いをしっかりと彼に手渡す。
「お誕生日、おめでとうございます先生」
―――そのときの彼の顔といったら!
もう、参るな。本当に参る。頬を染めた彼は瞳を大きく見開いて、とろけそうな表情で口元を綻ばせたのだ。
「買ってくださったんですか!わざわざ・・・本当にありがとうございます・・・本当に」
イルカセンセイは、手の中の包みをじっと見詰めて、何度もオレに礼を言いながら心底幸せそうだった。
あぁ、今までこんなに彼に喜んで貰えたことがあっただろうか!?なんて達成感!
オレは幸せを噛み締めながら、ゆっくりとプレゼントを紐解く彼を見詰めていた。
「・・・でもね先生、その皿、すごく大きいでしょう?あの机の上にちゃんと乗ります?ソレ」
大事に畳の上に広げられた包装紙に 現れた大皿をそっと置いて、いとおしそうに指でなぞる彼を見ながら、オレは嬉しくて堪らなくて。自分の手柄を報告ついでに、一番気に掛かっていたことを訪ねてみた。
・・・すると、イルカセンセイの表情がきゅっと引き締まる。
彼の指が止まる。ふ、と遠くを見るような彼の様子に、部屋に満ちる少しの沈黙。
あれ、何かまずいこと言ったかな、と思って目を瞬かせると、彼の黒い瞳がつい、とこちらを向いた。
「―――そう、そうなんです。
この皿は 大きいんですよカカシさん。俺だけではもちろん、ナルトと二人でも使いきれるような大きさじゃないんです」
まるで何かの台詞を聞いているような無感情なその言い回しに、真っ直ぐな彼の目に、
「それこそ、大人の男二人がかりくらいでないと、きっと 使い切れないでしょう。そう思いませんか」
イルカセンセイの指が青い硝子を軽く引掻き、皿がかぼそい音を立てた。
彼の喉が鳴る。大きく息を吸う。
「・・俺ね、12年前のあの日から、誰かに物をねだったことなんて一度も無いんです。
でも、あなたには初めて、ねだりたいと思いました。この皿を、ねだりたいと」
ねえ、カカシさん
「・・・この意味が、わかりますか?」
努めて平静を装おうとしているその声と裏腹に、彼の唇が色を失っていることにオレは気が付く。
彼は、この孤独な魚は、ずっと夢見ていたに違いない。
この広い青い世界を、一緒に分け合ってくれる人を。
あぁ、だめだ。
―――視界が霞む。
「イルカセンセ、オレね」
感情のままに強く彼の肩を引き寄せて、オレは言った。
「・・・この皿買うとき。 『ご家族にですか?』って聞かれちゃって」
ぴく、と跳ねた彼の肩に、優しく額を当てながら苦笑する。
「思わず 『はい』 って言っちゃった」
驚いて顔を上げる彼に思い切り口付けて、オレは笑う。嬉しくて、嬉しくて笑う。
・・・いつの間にか彼も笑い出して、一緒に気が済むまで額をぶつけ合って、じゃれあって笑った。
青い世界に、光がゆっくりと満ちてゆくのを感じる。
“皿が、欲しいんです”
一人では使うことも無いような、大きな皿を望んだ彼。
彼の欲しがったもの、今のオレにどれほど与えられるだろうか。
けれど、イルカセンセがもう涙に溺れなくてもいいように、毎日この皿を二人で満たしていけたら、と思う。
そんな二人でずっといましょうよ。ねぇ?
―――ひとしきり笑いあった後、今晩は、慣れない手つきでオレが腕を振るってみる。
オレが山ほど買い込んだ食材に彼は些か呆れていたが、だって、あの皿を満たすにはこれくらい必要でしょ?
「ほ〜ら、完成★カカシ特製、シーフードディナー!」
そう言って、青い皿に盛られた色とりどりの料理を見て、彼は大笑いした。
小さな青い魚の隣に添えられた いびつなたこ型のウィンナーを見て、
まだ涙の後の残る彼はもう一度 あはは、と笑った。
<終>
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