目の前のグラスが、行き場をなくして汗をかいている。

アイスコーヒーに浮かんだ氷が、かろんと澄んだ音を立てた。

 

オレは安いスチールの机の脚に、裾をまくったふくらはぎを当てる。ひやりとした痛いくらいのつめたさ。なんとなく、制服のシャツの襟元を緩めた。胸元に入ってくる、クーラーの冷気。

午後3時の喫茶店は、ひと待ち顔の客でいっぱいだ。

椅子の背もたれにひじをかけ、大きな窓から外を見遣る。机をはさんで座った、同じ制服の彼から意識を逸らそうとする。

 

「遠いよな・・」

 

けれど到底それは無理な話で。オレは頭のほとんどを占める目の前の奴に向かって、小さく声をかけた。

「アメリカって」

日本からどんだけ距離あるんだよ、と思いつつ、その現実離れした目の前の未来に、唇をかんだ。

向かいで、同じように背もたれに体重を乗せ、空を見ているサスケが、同じようにつぶやく。

「まぁな」

外を急ぐ人たちは、額の汗を拭いながら忙しなく足を動かしている。白い太陽が痛いくらいに照り付けていて、アスファルトを立ち上る陽炎が周りの景色をしろくかき消してしまいそう。

寒いくらいに空調のきいた店の窓際で、オレは頭半分で外の暑さを思う。

 

「言ったのか?それ。サクラちゃんには」

 

オレはいつもつるんでいる、桜色の髪のおんなのこを思った。サスケのことを、ずっとすきで、ずっとずっと思い続けて、けれども叶わなかった 彼女のことを。

 

「・・・いや。」

 

相変わらず、表情のほとんど読めない、憮然とした顔のままでサスケがため息をつく。

「なくぞ、サクラちゃん」

ぼんやり窓の外を見やりながら、オレは言う。窓の外では、風船を飛ばしてしまった小さなこどもが、麦わら帽子をつかんで泣きじゃくっている。

太陽の強さで白く色がとんだ空に、赤い風船がみえる。

安い、8ミリフィルムの映画みたいな風景だった。

 

「泣かねえよ、あいつは」

その答えが、自分のことのようにきっぱりしていたので、オレは何だか笑えてしまった。

 

オレは視線を店に戻す。少し暗い店の中で目がくらんで 目の前のサスケの顔が、ちかちか滲んだ。

きれいな顔にかかる、長めの前髪。真っ黒なそれが、太陽の粒を乗せて光っている。切れ長の目が、外を見るともなくみている。

彼も、あの風船を見ているだろうか。

 

「急だよな―――

 

オレはまた、ふくらはぎを机の脚に押し付ける。角度を変えて、何度も、何度も。

空調の効いた店内で、冷え切ったスチールはオレの体温でぬるくなり、また別の部分が冷えていく。その冷たい部分を探し、自分の体温にそめていく。

椅子にだらしなく座り、オレはそのひとり遊びに没頭した。余計なことを言ってしまうのが嫌だった。

せっかく決まった彼の未来に、影をさしてしまうのがいやだった。

スニーカーのつま先が、サスケの足をけった。

それに、間伐入れずに足でこづき返される。ガキの頃と全く変わらない、負けず嫌いな態度に、オレはまた少し笑ってしまう。

 

 

いつまでも、ずっとこのままでいられると思っていた。

こんな形で、あっけなく終わりが来てしまうなんて、考えたこともなかった。

 

ずっと一緒だった。初めて学校に行ったときも、ランドセルしょったときも、学ランが似合わなくてお互いに悪口言い合ったときも。

走るときは、いつでも彼を意識して、彼に勝つことだけを考えていた。
体育の試合では、どんな些細なゲームでも、全力で勝負して、そのたび一喜一憂していた。


じっとしていられなくて、机に向かうのだけはからっきしだったオレ。勉強だけは、いつも彼に勝ちを譲っていたが、それでも彼の志望高校をきいて、死ぬほど勉強した。

ふたを開けてみれば、また高校でも一緒。『腐れ縁だ』なんて小突きあいながら、それでもすげー嬉しかったのを覚えてる。

 

気が付いたらいつもケンカしていた。それでも、離れようと思ったことはなかった。

これからも、ずっとこうしてケンカしているんだろうと思っていた。

 

 

「もう、決まったことだ」

 

サスケがゆっくり机の上に肘をつく。ほんの少し目を伏せて。

また、スチールの上でアイスコーヒーが鳴る。どちらも、全く手をつけていない二つのグラスが、しずかに太陽の下で氷を溶かしている。

彼のしろい腕は、窓辺で太陽にさらわれそうだ。その、組まれたてのひらに、余分な力が入っているのにオレは気が付く。

サスケの視線が、スチールの机の上に、落ちる。

 

 

・・・あぁ、なんだ。

オレは顔を歪めた。

 

それは、小さい頃からの彼の癖だった。

迷ってるんだ、サスケ。

オレは、ライバルの気持ちを見透かした優越感に浸ろうとして、失敗した。

いつもなら、笑ってさんざん茶化してやるのに。

ちっとも嬉しくなんてなかった。

無言でオレも視線を落とす。

 

こうやって悲しみはいつも突然訪れるから。

涙を流す余裕すら与えてくれない。

 

 

スピーカーから、小さくうたが流れている。流行の曲。恋のうた。

ありふれた愛の歌を、オレは馬鹿にしていた。だって安っぽくて、あんまりかなしい。

でも、今のオレたち。恋人じゃないけど、友達でもないけど。なんだか、そのうたがあんまりしっくりきすぎて、聞きたくなくても、胸をしぼられたみたいになった。

まるで、映画のワンシーンみたいだ。

 

サスケの手に爪が食い込んで、真っ白になっている。太陽の光のせいかな。でも、この何もかも白くとんでしまいそうな光の中、オレは彼の肩を抱いてやりたくなる。

 

 

「・・・行ってこいよ」

 

8ミリ映画みたいな風景の中、オレは彼に笑ってみる。

 

 

――――けど、オレはお前のことを思うよ」

 

 

走るときも、テストのときも。

大学に行っても。就職しても。たまに空を見上げて、その空に、この安い映画みたいな風景を見つけたら。

「お前がいなくても、お前のことを思うよ」

 

スチールを見つめたままのサスケは顔を上げない。その肩が少し震えているように見える。

 

 

こうして、最後までオレは彼を困らせる。彼の困らせ方は、昔からオレが一番よく知っていた。

炎天下の窓の外を行きかう日常が、遠いところの物語のようで。

 

お前なしじゃ、これからきっとつまらないだろうな。

お前もきっと、つまらないって。



勝ち誇ったつもりでオレは少し笑って、少し泣いた。

 










アルケミスト「8oの空」より