・・・猫みたいだな・・・
彼のことを見るたびに、俺はそう思う。
受付から遠ざかっていくうっそりと丸められた背中に、木の葉の赤い渦巻きがふらふらと揺れる。
やる気の無さそうな半眼。日中見かける彼の目には厚みのある白い瞼がぽて、と被さり、
いつでもこの上なく眠そう。
まるで、日当たりの良い場所で欠伸してる、猫みたいだ。
実際、その隠された口布の下では、常に大口を開けて欠伸しているのではないか、と、俺はいつも気になってしまう。
・・・ひょっとしたら、猫みたいな髭が生えてたりしてな。
そう思って俺は独り、報告書を処理しながら小さく笑いを漏らす。
あと、のらりくらりと掴み所のないところも、それらしい。
マイペースで、楽天家。
切れ者の癖に、『いつも遅刻ばっかすんだって!だらしないんだってば!!』と、あのナルトをして憤慨させていた。
そういう彼の 馬鹿話を聞くのが、俺は好きだ。
そして、そういう彼を、俺は、なぜだか酷く気に入っているのだ。
もし彼が猫なら、きっと銀繻子のきれいな猫だろう。
紅と碧の瞳で、何もかも悟りきったような顔をして
とんでもないお金持ちの美女の膝に、のたりと横たわっているような。
・・・あぁ、でも 変わり者のあの人のことだから、案外、美女になんか見向きもしないかも。
そう、お仕えの侍女なんかになぜか懐いたりしてな。
ふふ。 カカシさんらしい。
・・・そんなことをぼんやり考えていると、なんだか本当に彼が猫に見えてきた。
だもんで、ついつい、忘年会の飲み会の席で、彼のふさふさの毛並みをぽんぽん、と撫ぜてしまったのだ。
――――――彼は、本当に驚いた顔をしていた。
当たり前だろう。
言葉を交わしたことはあっても、所詮受付でしか顔を合わさないような中忍に、
いきなり頭を撫ぜられたのだから。
翌日、酔いがすっかり引いて、昨夜のことを思い返し 血の気まで引いた俺は、
7班任務中の彼の元にすっ飛んで行き、必死の思いで頭を下げた。
――――ところが、木の下で木漏れ日を受けて ゆったりと寛ぐ彼は、その瞳を糸のように細めて微笑んだ。
そして、
「いえいえ。気持ちよかったですよ」
と。
言った。
きもち・・・よかった?
―――――撫でられたのが??
俺は思わず、吹き出してしまった。
あぁ、やっぱりこの人猫だ。猫。
掴み所がなくて、気紛れで。
俺が笑うのを見て、その大きな猫は一瞬目を大きく見開くと
照れくさそうに ぽりぽり、と頬を掻いた。
彼の銀色の毛並みが、陽だまりの風にふわりと揺れた。
そんなこともあって、俺達は、結構親しくなった。
幾度となく連れ立って呑みに行くようになり、立ち入った深い話もするようになった。
カカシさんは、7班の様子など俺の欲しい情報をたくさん教えてくれる。
かと思えば、いつの間にか夢中になって熱弁を振るっていた俺の拙い話に、にこにこしながらじっと耳を傾けてくれている。
まるで気の合う猫が、膝の近くで丸まってくれているみたいに。
カカシさんと一緒にいると、なぜか酷く安らいだ、穏やかな気分になった。
猫は、好きだ。
他人には干渉しません、みたいな顔をしている癖に、気紛れに寄り添ってくれるあの優しさがいい。
まるで家族みたいに、何の気兼ねもなく、安心して傍にいられるのがいい。
まるでじいさんばあさんみたいに、何にでも気長に構えているところも好きだ。
じじくさいところのある俺と、気が合うと思う。
・・・カカシさんと俺って、気が合うのかな。
そんな折、ひょんなことから俺の家で酒を飲むことになった。
勿論二人で。
カカシさんが持ってきてくれた上等の酒の所為もあり、二人共に杯が進んで、俺は久方振りに思う存分酔っ払った。
俺は火照る頬をちゃぶ台に押し付ける。冷たい木の感触が熱い頬に気持ちいい。
そのまま酒を呷ろうとすると、案の定 零れた酒がぽたぽたと頬を濡らした。
「あぁもう!零れてますよ!・・・イルカセンセ、意外にこんなとこでだらしないんですから」
慌ててタオルで俺の頬を拭いにかかる彼を、いい気分で見詰める。
・・・そういえば、この人上忍だっけ。本当なら、もっと気兼ねしなきゃいけない相手なんだけどなぁ・・・
けど、なんだかカカシさんは違うんだ。何ていうか、一緒にいてすごく心安らぐひと。
くっくと喉で笑って、俺は彼の手首を掴んだ。色白いなぁカカシさん。
「カカシさんはァ・・・ねこ、っぽいですよね〜」
「はぁ・・・猫ですか?」
突然の言葉に、彼は困ったように小首を傾げた。
「実は割とよく言われるんですよね・・・オレ。イルカセンセはどうしてそう思われたんです?」
本気で不安げな顔で尋ねてくる彼がなんだか可愛くて、俺はまたへらへらと笑った。
「ちょっとイルカセンセ、何なんですか?」
詰め寄ってくる彼があまり酔っていないように見え、俺はむう、と口を尖らせる。
「カカシさん― ぜんぜん酔ってませんねェ!??ねこのくせに、ウワバミなのかぁー!!!」
酒瓶を彼に押し付けて、もっと呑め呑めと迫る。
好き勝手騒ぐ俺に、もう、イルカセンセ この酔っ払いめ、と呆れた声が降ってきた。
俺は へへ、と笑みを零した。・・・ああもう、気持ちがいい。
ほら、俺の顔を困った猫が、じっと覗き込んでる。
狭いちゃぶ台の下で触れ合った太腿に、伝わる熱い体温。
あれ、この人って低血圧そうな顔してるのに、案外体温高いんだな。
ほんと、猫みたいだ。
ちゃぶ台に突っ伏した俺は、顔だけ彼の方に向けて、にしし と笑った。
そのまま、手を伸ばして彼の髪を撫でる。ふさふさして意外にコシのある、銀色の毛並み。
――――あぁ、きれいな猫が、ここにいる。
美女になんて見向きもしないで、俺んとこに来てくれたんだ。嬉しいなぁ。
「もう、何言ってんですか」、と優しい彼の声が子守唄のように響く。
ふわり、と意識の向こうで彼の声が遠くなる。
手の中に柔らかい手触りを感じながら、俺は幸せな気分のままゆっくりと重い目蓋を下ろした。
ああ、落ち着く。
ほんと、猫みたいな人だ カカシさんは。
*****
猫、らしいんだよね、オレは。
なぜだか、わりとオレは、人に『猫』と形容されることが多い。
上忍連中に始まって、町の知り合いや昔付き合ってた女や・・・そうだ、ナルトにも言われたこと、あるな。
とにかく、みんな口を揃えてオレを『猫』にしたがる。
この前、任務を受けた依頼者のばあさんなんか、オレの顔見て吹き出すなり
『そうそう!あんた、どっかで見たことあると思ったら うちのタマに似てるんだわ』
ときたもんだ。
・・・そんなに似てるかぁ?
道端の猫に「なぁ」と問い掛けると、予想外に甘えた声で擦り寄ってこられてびっくりした。
お前も公認かよ。
でもなぁ、あんまりいい気はしないよね。
猫みたいっていうのは、アレだろ。「毎日ぐうたら昼寝ばっかりして」「気分屋で」「胡散臭い」
・・・っていう。
・・・ま、間違っちゃいないか。
は〜・・・溜息でるねぇ。
そんなこんなでわりと悩んでいた時だったので、酒の席でナルトの元担任・イルカ先生にいきなり頭を撫でられた時は、本当にびっくりした。
うわ、この人こんなことする人だったのか・・・
いつも受付で他愛ない会話を交わすときには、やたら誠実で真面目そうなイメージだったのに。
しかも、なんだか小動物をあやす時の仕草で、優しい目でじっとこっちを見ながら、ぽふぽふと頭を叩いてくる。
・・・やっぱり猫扱いか?オレ。
ほわんと朱に染まったイルカ先生の濡れた様な黒い瞳が、柔らかな笑みをたたえてオレを見てる。
―――――あぁ、やっぱり。
笑顔のまぶしい人だとは思ってたけど、こんな艶のある笑い方もするんだね〜・・・
ちょっと乱れた髪が、先生の顔に纏わってて、何だか凄く色っぽい。
・・・うわ、なんかドキドキする。
イルカセンセイはオレの髪が気に入ったのか、何度も何度も頭を撫でてきた。
―――――けど、イルカ先生にそうされるのは、なぜか全然イヤじゃなかった。
むしろ、嬉しい。
オレの中の猫が、もっと撫でてくれ、と甘えた声でイルカセンセに擦り寄ってる。
オレは、勝手に赤くなる頬を持て余しながら、そんなイルカ先生から目が離せなくなった。
飲み会の次の日、真っ青になったイルカセンセイが、7班の監督しながら寝そべってるオレの所へ、文字通りすっ飛んできた。
必死になって謝る律儀な姿が、昨日の酔っ払ってたイルカ先生とあまりにもギャップがありすぎて
おかしくて。
だからオレは正直に「気持ちよかったですよ」と伝えたのに。
イルカセンセイは、その言葉を聞くなりいきなり吹き出したもんだから、オレは面食らってしまった。
その様子が、あの依頼者のばあさんと瓜二つだったことにも驚いた。
あ〜、こりゃ、やっぱオレ 猫に似てると思われてんのかね。
・・・でも、ま、なんだか悪い気しないし、いいかな。
なんだかこの人には、懐きたい気分かも。
そっから先、オレ達は随分仲良くなった。
元々イルカセンセには興味があったので、これを機会に、と何度か呑みに誘ってみると、
意外なことに彼はいつも二つ返事で承諾してくれた。
オレはイルカセンセといられることが嬉しくて、理由を見つけてはセンセを引っ張り出した。
酒が入って饒舌になったイルカセンセは、またいつもと違っていい。
少し砕けた様子の彼は、普段より親密にオレに話し掛けてくれる。
教師なだけあって話のネタは豊富で、オレは楽しそうなイルカセンセイの話を聞くのがとても好きだった。
・・・けど、ひとつ残念なことがあるとすれば。
イルカセンセイは、滅多に外では酒を過すことがない。
酔いはするが、あんまりハメを外すことがないのだ。そう、あの飲み会の席でのように。
それがオレには残念だった。
あ〜、もう一回、あの色っぽいイルカセンセが見たい。
そして、もう一度撫でてもらいたいね。
そんなある日、オレはひょんなことから珍しい酒を手に入れた。
それを先生に勧めてみると、「じゃあ、今夜は俺んちで呑みましょうか?」ということになった。
いい酒が飲めることにイルカセンセは上機嫌だ。『頑張って酒に合う肴作りますよ、俺』なんて息巻いている。
ふ〜ん。でも、いいのかなあ。イルカセンセ。
オレのこと アナタはすっかり猫だと思ってるけど。
けどね、忘れてない?
ライオンや虎だって、猫の仲間なんですよ。
思った通りというか何というか、やっぱり家で呑むと安心するのか、ぐでんぐでんに酔っ払ったイルカセンセイは、やたらとオレに絡んできた。あの最初の「飲み会」のときのイルカセンセイだ。
しかも、『ホラ、にゃ〜ん』・・・とか言いながら、何かにつけオレを構おうとする。
・・・やっぱり猫扱いされてるな、オレ・・・
けど、いいや。
オレの中の猫が甘えた声で鳴いてる。もっと構って構ってセンセ、と。
酔いが回ってちゃぶ台に突っ伏したイルカセンセイは、オレの方を見てふ、と微笑むと、
そっと手を伸ばしてオレの頭を撫でた。
ゆっくりと、優しい手つきで髪を梳く。
あぁ、気持ちいい。喉鳴らしたい気分。
イルカセンセイの酒精がまわって潤んだ目が、じっとこっち見てる。
酒の混じった熱い吐息が、赤い唇からはぁ、と吐かれた。
・・・オレの心臓が高鳴る。やっぱ凄い色っぽい、この人・・・
やばいな。やばいよ。
「――――俺・・・カカシ先生といるとなんかすごく、安心、し・・・ま・・・」
とろんとした目で暫く手触りを確かめるようにオレの髪に手を埋めていた先生から、ふうっと力が抜けた。
あ、寝ちゃったんだ。
力を失った先生の手が、オレの髪からずる、と離れる。熱い指が、通りすがりざま オレの頬を撫でた。
すうすうと穏やかな寝息を立てるイルカ先生。
乱れた髪の纏わりつく彼のうなじから、ふっと夜気の匂いが漂った。
腹で飼う獣が、ぐ とオレの胸に爪を立てた。
耳の奥で激しく暴れるヤツの鳴き声を聞く。
あぁ・・・やばい、イルカセンセ。限界。
―――――したいかも。
乾いた唇をぺろ、と舐める。
ごめんね、イルカセンセ。
オレの中の猫が、白い牙を剥いた。
騒ぐ僕の猫