![]() |
![]() |
|||
風を抱え込んで、部屋のカーテンが大きく揺れる。 開け放した窓から、カーテン越しに ちらちらと黄色い月が覗く。 静かな夜だ。 夏はとっくに過ぎ去ったが、日中はまだ蒸し暑さが残る。 しかし夜には、ぐっと温度が下がり、頬を撫でる風も肌に寒くなってきた。 隣から規則正しく聞こえてくる密やかな息。じわりとシーツ越しに伝わる、薄い体温。 俺は読んでいた本を閉じ、そっとスタンドの明かりを消した。 机の上に本を置こうと手を伸ばすと、カタッと軽い音を立てて手が何かにぶつかった。 ――――あ、忘れてた。 机の上に置いていたのは、昼間、アカデミーの子供から取り上げたドロップの缶詰。 授業中に取り上げたのはいいが、帰りに返してやろうと思っていたまま、うっかり忘れて持って帰ってしまったのだ。 久しく手にすることのなかった、赤と白のカラフルな缶をそっと持ち上げた。 今では掌に収まるサイズのその小さな缶。 面には様々な色のドロップが散りばめられた絵が描かれている。 幼い頃を懐かしく思い出し、俺は小さく笑んだ。 そうだ、色々な色があって、一粒ずつ、眺めながら食べたっけ。 例えば・・・ 視線をずらすと、隣で布団に包まって眠る、銀色のたてがみが目に入った。 ――――ハッカ。 思いついた言葉に、俺は思わず苦笑した。 ハッカのあのツンとした感じが子供には曲者で、中々好きになれなかったっけ。 いつも、最後に缶の中に残るのは、ハッカだった気がする。 他には・・・ ふっと、視線を上げると、中天を少し過ぎたばかりの丸い月が目に入る。 もうじきに満ちるその月は、下側をほんの少し欠いた、歪な楕円。 ・・・レモン。 開いたままの扉から、台所が見えた。 古い、くすんだ緑色の 大型の冷蔵庫が、静かに唸りを上げている。 ・・・メロンに・・・ 部屋の中に頭を巡らせると、足元の方に、脱ぎ捨てられた形のままの忍服、二人分。 月の光が落とす影に、濃い紫に染まっていた。 ぶどう、だな。 後は、なんだっけ? 確か、イチゴに、オレンジ・・・ 俺の部屋にはない、暖色系のものばかりか。 ここまでかな、と思って、俺ははた と思い当たる。 ・・・あるじゃないか、この上ない赤。 カカシさんの、左目。 今は銀の髪と白い瞼に遮られて見ることは叶わないけど、彼の目は、そう、ドロップみたいに真っ赤だったはずだ。 そっと身体をずらして彼を覗き込んでみる。 上忍だけあって流石に気配には敏感だが、こうして隣で俺が穏やかな気を纏っている時には、彼が起きることはない。 彼の睫毛が、ひく と震えた。 整った細い眉が僅かに顰められる。頬の筋肉が瞬間引き攣って、唇が薄く、開いた。 ――――夢を 見ている・・・ 以前、聞いたことがある。彼がこういう顔をしている時は、戦場の夢を見ているのだ。 今も夢の中で、彼は戦場を駆け抜け、幾人もの敵を屠っている最中なのか。 目の当たりにしたことはないが、噂として聞かない日はない。『写輪眼のカカシ』の戦いぶり。 雷をも切り裂く手で、ほんの一突き。それだけで数十の忍びの命が奪われるのだという。 大地を蹴って、風のように駆け抜ける。 目にも留まらない速さで印を結んで、辺りを炎の海と化す。 そういうとき、垣間見える彼の姿は、 まるで 閻魔のようだと。 また、彼の白い瞼が ひくり、と動いた。 不意に、薄く鳥肌が立った。 この人は今、血の海の中にいる。 俺の預かり知らない、ひとだ。 幾人もの命が、今 彼の中で奪われている 赤い血が飛び散って、辺りは真っ赤な炎に包まれて その景色を写す彼の目は きっと、身震いするほど紅いに違いない。 血塗れの彼が、薄く 笑みを浮かべるのを思い描いて、俺は眩暈に襲われた。 怖い・・・ 「・・・イルカセンセ?」 は、と気が付くと、いつの間にか目を覚ました彼が、俺の顔を覗き込んでいた。 少し掠れた声で。 思わず、彼の目を見ることができず、ぐ、と目を瞑ってしまう。 気付かないうちに酷く汗をかいていた。 軽く息が乱れる。 俺の二の腕を掴む彼の白い手。汗ばんだ肌に、彼は、気付いてしまっただろうか。 「イルカセンセ・・・」 そっと探るように、呼びかけられた声が思いのほか優しく、俺は、恐る恐る目を開いた。 カーテンがまた、大きく翻る。 ・・・目に飛び込んできた、彼の姿。 ――――――あ・・・・ 心配そうに覗き込む彼の目は、真っ赤なんかじゃなかった。 月の柔らかい光に照らされた彼の瞳は、 優しい、暖かい オレンジ色。 そうだ、俺は何を考えていた? この人は、こういうひとじゃないか 優しくて、あたたかくて。それが、カカシさんじゃないか。 安堵で、思わず涙がこぼれた。 目の前の人が、俺の知っている「はたけカカシ」であることが 嬉しくて。 「センセ・・・」 戸惑った声で、優しく、俺の頬に手を添える。 「どうしました?怖いゆめでも?」 髪をそっと梳き、静かに唇を重ねられた。 柔らかな感触に、また、止められない涙が零れ落ちた。 彼は、壊れ物を扱うように俺の涙を拭って、 ふわりと俺の肩を抱き締めた。 あぁ、もう・・・ 何やってんだろう 俺。 大の大人が子供みたいに泣いて、 ・・・ ・・・・・馬鹿みたいだ、俺・・・ 静かな彼の腕に抱き締められ、俺は今更ながら、深く恥じ入った。 薄い布越しに伝わる彼の肌の感触。彼の匂い。 あたたかくて、本当に自分が危惧していたのが、嘘みたいで。 暫く顔を上げられずにいると、頭の上に顎を乗せた彼がくっくと喉で笑った。 「なんか、かわいいですね イルカセンセ」 そんなアナタも、好きですよ。 ざあっと血が顔に上った。 くそ・・・恥ずかしい。 きっと今一番赤いのは、彼の目じゃなくて俺の顔だろう。 なら、イチゴがそろった、か。 図らずも揃った缶の中の飴たちに、俺は少し舌打ちをした。
|