これは恋なんかじゃない。あんな奴好きな訳があるか。

一方的で、強引で。迷惑この上ない。

けれども彼は上忍だから。逆らうことなんてできないんだ。

 

だから仕方なく・・・だ。

 

 



 

「・・・・あぁ、ちくしょう・・・・」

 

・・・・うっとおしいくらいに晴れ上がった朝だ。薄汚れた窓から差し込む朝日が、起きたてのしょぼくれた目に眩しい。

俺は落ちてくる長い髪をかき上げつつ、洗面台に手を付き 鏡を覗き込んで舌打ちした。

寝不足でクマのできた酷く不機嫌な顔が、鏡の中で盛大に歪む。眉間の皺に伴って、鼻っ柱を横切る一文字の傷も一緒に歪んだ。

 

――――鏡の中、喉の真ん中に 赤い痕。

 

喉仏の少し上辺り、柔らかな皮膚にこれでもかと言わんばかりに付けられたそれ。

誰が付けたかは言うまでもない。

昨晩家主の都合も考えず 任務帰りにふらりと現れ、散々ヤるだけヤって、また朝方にふらりと出て行った迷惑千万な銀髪上忍、あいつの仕業だ。

「・・・・・ったく・・・!痕は付けるなって言ってんのに何度言ったら・・・!!!」

燦々と差し込むまっさらな朝日の下で、その鬱血は酷く似つかわしくなくて、やたらと癇に障った。

 

何度止めてもイヌのように体に痕を残したがる彼。

俺が鏡の前で溜息を吐くのも毎度のことだが、今回のは特大だ。

どう隠しても、支給服の襟元から除いてしまう位置にあるその痕。虫刺されだと誤魔化そうにも、鬱血の中に一際赤く残った歯形は明らかにヒトのもので。

眩しい陽光の中、首筋に居座った赤い痕は、堂々とその存在を主張しており、
俺は恥ずかしいというよりも そのふてぶてしさに無性に腹が立った。

「・・・・どうしてくれんだよ、これ・・・」

どこまで行っても自己中心的で、本能に忠実、人の迷惑なんか顧みない上忍・はたけカカシ。
その覆面の下の、必要以上に整った顔を思い出し、俺は思わずその痕に爪を立てる。

「くそ・・・・っ」

がり、がり

何度も何度も爪を立て引掻いたが、その噛み痕は消えることがなく。指先に薄っすら血がこびり付くようになるまで引掻いて、俺は漸く諦めた。

仕方なく、上から絆創膏を貼って出勤する。

 

彼との関係を、隠して。

 



 

 

「任務お疲れ様です!」

「あ、こちら、記入洩れがありますね。申し訳ありませんが・・・・」

「結構ですよ、ありがとうございます」

判子をついて、また 笑顔。

「こちら、新しい任務になります。お気をつけて」

背中側に開いた大きな窓から、明るい太陽の光が差し込む。午後の任務受付所。
任務帰りの者と、任務を受けにくる者でひしめき合うこの時間を、俺は笑顔で捌いていく。

人のいきれで少々暑いくらいの室内。沢山の足で踏みつけられる床から細かな埃が舞い上がり、それが光を反射してきらきらと光る。

人の体が持ち込む埃で、少々空気が粉っぽい。平穏な俺の日常だ。

この明るい部屋の中で、彼との関係を隠した俺は 完璧に「うみのイルカ先生」だった。

朗らかで快活。健康的で明るい笑顔を絶やさない。

首の絆創膏については、親しい同僚に『ほどほどにしとけよ』とからかわれた程度だ。

そう簡単に怪我をするはずもない位置のそれを、大概の者は見て見ぬ振りをする。
そんなもんだ。
相手の女性関係にそう下世話に突っ込んで来たがる程の子供は、ここには居ない。

 

―――――だが、その相手が男だと、しかも 里一番の上忍だとなれば話は別だろう。

木の葉の誇るエリート様が、こんなしがない一中忍に手を出していると知れたら。


一体周りはどう反応するだろうか。

 

首の傷がぴり、と引き攣れた痛みを伝えた。

自分のくだらない想像に自嘲気味に笑って、無意識にアンダーを引き上げる。
大嫌いだが、あのきれいな、皆からの崇拝の対象者が自分のものであるという秘めた感覚は、案外甘美なもので。

けれども、誰にも知られてはいけない。この関係は。自分の矜持のためにも。

彼のためにも。

お互いのために。


ふっと周りには分からないほどの溜息を吐き、また目の前に列を作る忍びに笑顔を向ける。



書類を処理しながら知らず知らずの内に、強く絆創膏を押さえ付けていた。

 

 

受付所の端が、僅かにざわめく。

―――――視界の隅で、ふわりと銀色が揺れた。

来たな、と思う間も無く、わざわざ俺の前の列に並ぶ彼。細いくせに上背がある所為で、やたらと目に入ってくる。

あぁ、くそ。

集中力が散漫になる。今まで無意識に頭の隅に上らせていた姿が、いきなり実体を持って現れたせいだ。

にこにこと楽しそうに微笑みながら俺の方へ近付いてくる。里の誇る上忍。

・・・俺の秘密の恋人。

軽く目を上げると、更に嬉しそうに、その弓型の目がきゅっと細まる。涙袋が膨らむとなんだかとても可愛い。
・・・そういえば、“笑うと目の下が膨らむ人は美人”だって誰かが言ってたよな・・・当たってる。

あぁもう、幸せそうにしちゃってまぁ。
・・・・・俺には理解できない。こんな無骨な男のどこがいいんだか。

軽く溜息を吐きながら顔を上げて彼を迎える。

 

―――――――すると、突然、彼の顔から笑みが失せた。

次の瞬間、彼は有無を言わさず前に並んでいた忍びたちを押しのけ、列の一番前、

俺の眼前へと進み出たのだ。

 

当然、周りからは抗議の声が上がりそうなものだったが、その相手を「写輪眼のカカシ」だと認めるやいなや、
皆一様に口を噤んでしまった。
彼の強さと引き換えのおかしさは皆が承知している所なので、わざわざ進んで喧嘩を吹っ掛けに行くことも無い。
賢明な判断だ。

 

―――――彼の目が 僅かに怒りを帯びていた。

それは傍目から見れば、気付かれることがない程の微妙な変化だったが。

この覆面に隠された表情を 目元だけで読み取れるようになってしまった自分に少々呆れながら、仕方なく報告書を受け取ろうと手を伸ばす。彼の傍若無人っぷりはいつものことだ。

 

カカシさんの視線が首筋に突き刺さった。首筋・・・言うまでもなく、喉の絆創膏を、見ている。

見ている。


・・・みている。


何故だか急に、妙に後ろめたい気持ちが湧き上がって、思わず俺は僅かに彼から視線を逸らした。

そんな自分に自分で驚き、混乱する。

後ろめたい?誰に対して?

もちろん、目の前のこの男だろう。

――――――どうして・・・??

“彼との関係を”

伸ばした指先に軽く触れた報告書は、だが、俺の手に渡ることなく、再びカカシさんの手の中に引き戻された。

“隠して――――

空を掴んだ俺が訝しげに見上げると、俺をじっと見詰めていた彼と目が合う。その目が至極楽しそうに細められるのを見て、本能的に危険を悟った。

ほんの瞬きの間の葛藤。

 

 

―――――――遅かった。

 

 

ビッと小さな音がして。

一瞬にして伸ばされた彼の長い指が、躊躇いもなく喉の絆創膏を引き剥がす。

 

 

 

 

――――――あぁ、すみませんねぇ。こんなにしちゃって。

けど、オレこんなに酷くしましたっけ?」

 

 

 

 

 

 

飄々としているくせにやけに通るその声に、受付所が水を打ったかのように静まり返った。

 

 

にや、と笑った彼は、とどめの一言。

「優しくしたつもりだったんですけどねぇ」

 

 

 

 

 

 

凍りつく空気。

 

 




 

・・・・声も出なかった。

 

 

 

 

『報告書、頼むねイルカセンセ』と、手を振った彼がふっと姿を消したときも、俺は一体何を言われているのか理解できなかった程だ。がらんどうの頭の中に、一拍遅れて、絆創膏の跡からじわじわと小さな痛みが伝わる。

 

ごく、と飲んだ唾の音が、やけに大きく響いた。

 

「・・・・おい、今の・・・・・」

「はたけ・・・上忍・・・?」

――――――彼が消えて数秒後、状況を理解し始めた受付所内に 次第にざわめきが戻る。

 

俺は放心しながら、いつの間にか手の中にあった報告書を握りつぶしていた。

「イルカ・・・?・・・・・今の、って・・・」

呆然としながらこちらを窺う同僚の声も、全く耳に入ってこなかった。

握り締めた拳がかたかたと小さく震えはじめる。

其処此処で交わされる、トーンを落としたざわめき、周りから突き刺さるような好奇の視線。

「な・・・イルカ・・・」

途端、勢い余ってチャクラが洩れたのか、握り込んでいたボールペンが派手な音を立てて折れた。
それを見て、周囲が一斉に黙り込む。

怒りや羞恥が、呆然としていた脳を現実に引き戻し、真っ赤に染め上げていった。

 

身体中がわなないて、震える目に、よれよれになって床にへばりつく絆創膏が映る。

 

 

(あ・・んの野郎・・・・・ッ!!!!!)

 

 

 

 

―――――――その後のことは・・・あぁ、思い出したくもない。

人の口に戸は立てられず、とはよく言ったもので。あっという間にアカデミー中に広まった受付所での「珍事」を其処此処で噂され、意味ありげな視線を向けられ、知らない人に擦れ違いざま肩を叩かれ。
からかわれて煽られて。

流石に それなりに図太いと定評のある俺も居た堪れなくなり、逃げるように受付所を早引きして
家に帰り着いたのが、つい先刻だ。

 

「イルカセンセ〜〜お帰りなっさ〜〜いvv」

すっこーん

 

間伐入れず、場違いな台詞と共に窓から不法侵入してきた 騒ぎの元凶の足元に、小気味よい音を立てて刺さる俺のクナイ。

「ぶっ殺す・・・・」

「やだ、センセ怖〜いv」

 

器用に窓枠から片足を離して、妙な恰好で難なくクナイを避けると、くねくねと身体をくねらせてみせる彼に、
血管が数本 音を立てて切れるのを感じた。

帰ってからずっと研ぎ続けていたクナイは、鋭利に黒光りしている。いい具合だ。瞬く間に彼との距離を詰めると、手元に構えたもう一本を、有無を言わさず 窓に足をかける上忍の咽喉にあてがった。

「この大馬鹿野郎がッッ!!!!なんであんなことしたんだ畜生!!!人前で!しかも昼の受付所だぞ!?

今までの努力が水の泡だろうが!!明日からどんな顔して仕事に行けば・・・・・」

「うははははははははっ!!!」

唐突に腹を抱えて笑い出したカカシさんに、俺の必死の言葉は遮られた。喉元のクナイを意にも介さず大きなリアクション取るもんだから、切っ先が彼の喉に当たって小さな赤い筋を作る。

 

「な・・・・っ!??」

・・・やめてくれ、いきなり壊れるな。普通の人間の俺には、ヘンタイの行動は理解できないんだよ!!

「はははは・・・っ!!だ、だって、あんまりにも予想通りの答え返すんだからセンセ・・・!!!」

ひぃひぃと苦しそうに眦に涙を溜めながら馬鹿みたいに笑い転げる上忍。何だか一抹の不憫さを感じると同時に、更にむかっ腹が立つ。

襟首を掴んで(上忍相手に。人間やろうと思えばなんだってできるもんだ)床に引き倒すと、上から圧し掛かって ぐ、と切れ味のよいクナイを押し付けた。

「いい加減にしやがれ!!本気で喉掻き切ってやろうか!!!」

 

 

と、急に真顔になった彼がぽん、と手を打って、大きく見開いた目で俺を覗き込んできた。

 

「そう!!ソレですよ!!」

 

「・・・・・・はァ・・・!?」

突然びしっと鼻先を指差されて、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。何だか凄く嬉しそうな彼に、漂う場違いな空気・・・っていうか、この状況で嬉しそうってなんなんだこの男は!?

「今イルカセンセ言いましたよね?自分で。『喉掻き切ってやろうか』って!!」

「・・・・・・」

なんでちょっとキラキラしてんだこの変態・・・・

って、うわ!!だから、クナイを気にせずに距離を詰めるなっての!!!

鼻歌でも歌いそうな勢いで、彼は肘を立てて嬉しそうに俺に迫る。

「そうそう!そうなんですよ!!喉は一番の急所、気取られずに忍んで背後より喉を掻くべし、ってね!暗殺の極意だって習いましたよね?」

 

・・・・・・・・

・・・・だから何が言いたいんだ、この変人は

 

 

「忍びはまず弱くて狙いやすい喉元を標的にする。逆に 敵と対峙したら、まず自分の急所は敵の目から隠さなきゃいけない、そうですよね!?」

「・・・・・・だから何だって言うんですか」

苛立ちを滲ませながら俺がそう問うと、彼はしてやったり、といった顔でにやりと笑った。

 

「じゃ、何でイルカセンセはえっちの最中にオレに喉元晒してくるのかな?

まるで喰ってくれって言わんばかりにイイ顔してね」

 

 

 








 

・・・・・・・・

―――――――は・・・ぁ?なんだって・・・・?

 

んな馬鹿な。寝惚けてんのかあんた。

言わせておけば言い掛かりだそんなものいい加減にしろよ

 

・・・なんて。

言おうと思っていた言葉は、全部出てくる寸前に喉で潰れた。

 

カカシさんがにやけながら、呆然と動きを止めて口をパクパクさせる俺を見ている。

ちょっと嫌味なくらいに整った顔。あ、涙袋が膨らんでちょっと可愛・・・・って

・・・違うだろ俺・・・・

 

 

逃避しかけた頭に、否応なしに浮かぶ 行為の最中の自分自身。

半ば飛びかけた意識の中で頭を過ぎる、押さえの効かない その思いが。

 

・・・本当だった。全部彼の言うとおり。

彼に抱かれる時、いつも朦朧とする意識の中で、妙に満たされている、その事実。

自分の上で夢中になって俺を貪る彼を見るたび、耐えがたい安堵と焦りに満たされて。銀の毛並みを乱れさせるこの獣を、どうやってもっと自分に縛り付けてやろうかと、手を伸ばして縋り付いて、

 

――――――まるで贄の様に、自分の喉を差し出して。

 

無意識に一番弱い所を差し出して

喰らってください喰らってください、と。

そうして噛み付かれる瞬間に、肉食獣に食われるような自分に、ある種の快楽を見出していたことも

彼に食われて、彼のものになることで、彼を手に入れた様な恍惚にたゆたっていたことも

全て事実だった。

欲しかった、彼が。自分に縛り付けたかった。

 

この気持ち、人は独占欲と呼ぶのだろう?

 

 

 

クナイの切っ先が、ずる、と目的を失って垂れ下がるのを見て、彼が満足そうに笑った。

肉食動物、勝者の笑みだ。

人さし指で俺の首の傷をちょっと押して、上目遣いに言う。

 

「いい加減、認めちゃいなさいよ?」

オレが好きだって、ね

 

 

にやり、と彼が笑う。

彼の白い首筋にも、俺が傷つけた赤い傷跡が。草食動物だって、一矢報いてやれるんだ、なんて およそ無関係なことが頭に浮かんだ。

 

 

 

明日も晴れるに違いない。うっとおしいくらいに。そうしてアカデミーへ行って、授業やって、終わったら書類纏めて、受付へ行って、そして残業。いつもと同じだ。それで一日が終わり。

けど、明日からは煩くなるだろうな。周りからの好奇の目、面白半分に声掛けて来る奴等。噂話で気の休まる時もないだろう。あぁ、さよなら俺の平穏な生活、健全なうみのイルカ先生。

 

―――――――まぁ、そんなのも、悪くないかもしれないな。
ちょっとぬるま湯に浸かり過ぎてて、ふやけてた所だったし。

波乱万丈な毎日か。

・・・望む所だ。

 

 

挑みかかる様な気分で唇を噛むと、俺は目の前の彼に叫んでみせた。

「・・・好きですよッ」

 

 

それを聞いて銀髪の上忍はまた大笑いすると、真っ赤になった俺をぎゅっと抱き締めた。


明日からは、絆創膏は要らない。







隠せハレンチ