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――――“この店には、なんだってありますよね” アカデミーから里の中心にある商店街を抜けて、少し行った所にある 小さなコンビニ。 俺の住むしがない職員寮と、ほんの目と鼻の距離。 24時間開いているこの店には何だって置いてある。食い物、飲み物、薬に酒に生活雑貨。道具の手入れ用品から、ちょっと子供には見せられない、大人の本だって。 里一番の品数を誇る、便利な店。彼のお気に入りの店だ。 俺は今日も、ここに探し物に来た。 残業を終え、すっかり日の落ちた暗い道を、真っ直ぐコンビニへ向かって歩く。 店内に足を踏み入れると、無駄に明るい照明が暗闇に慣れた目に沁みた。レジの店員がおざなりな挨拶を投げかけてくる。 空調の効いたその空間に、ざっと目を走らせる。 カカシさんは、まだいないようだ。 別に、待ち合わせをしている訳ではない。 けれど、彼は長期任務の後は必ず、このコンビニで俺が帰ってくるのを待っているのだ。 確かに、アカデミーから俺の宿舎までの一本道にこの店は建っていて、俺が帰るには必ずここを通らなきゃならないから まぁ、ここで待っていてくれてもいいといえばいいのだが。 とりあえず、彼を待つことにする。 入り口の方を気にしつつ、広くもなく狭くもない店内の 雑多に物が置かれる棚の間をぼんやりとぶらついた。 日用品のすぐ隣に、例えば避妊具なんてのが置いてあるようなこの店の中は、整然としているくせに どこか混沌としていて。生きていくのに必要なもの何もかもが詰まっているこの場所はまるで、一人の人間を凝縮したような空間で とても卑猥だ、と思う。 ――――“ホラ、イルカセンセ見て。イチャパラの新刊、コンビニで予約して買っちゃった” ――――またですか そんな・・・。もっとこう、この便利な店を有効活用しようとは思わないんですか ――――“えぇ!?充分有効ですよ〜!今まで遠い本屋まで行かなきゃいけなかったけど、 ほんとに、何でもありますよね〜 ここ そう言って、目を弓形にして、楽しそうに笑う。 カカシさんは、コンビニが好きだ。 任務が終わるといつも、彼はここに入り浸っている。 そうして、残業を終えて帰ってくる俺を待っている。 どうせなら先に俺んちに上がってればいいのに。 合鍵だって渡してあるのに。だって、俺たちはもう、そういった仲なのだから。 ――――どうしてこんなとこにいるんですか。先に俺んちに入ってればいいのに、 そう聞くと ――――“だって、あそこはイルカセンセの家だし。家主がいないのに勝手に入るのは、 なんて殊勝なことを言って、そのくせ、自分の言った言葉に傷ついたような顔でちょっと笑うんだ。 俺としては、こんな公共の場で待たれてるよりは、さっさと俺んちに潜り込んで静かにしてくれていた方が、よっぽど有り難いのだが。 だって、こんな所で二人で会ってたら、周りに何て思われるだろう。男同士で。・・・恥ずかしいじゃないか。 そう思っていた。 だらだら店内を歩きながら、適当に目に付いたものを手に取ってみる。 妙に甘そうなパッケージの飴玉や、クナイの手入れ用スプレー、変にピカピカ光る機能の付いた ボールペンとか。 全部、カカシさんの気に入っていたものだ。 そういうくだらないものを手に取りながら、ぼんやりと彼のことを考える。 ――――“ホラ、イルカセンセ。ヒレ酒ヒレ酒” ――――なんですか、そんなもの飲むんですか。やですよ俺、猫舌なの知ってるでしょう ――――“いいじゃないですか。一緒にあったまりながら帰りましょうよ〜!ペアルックみたいでしょ、コレ。 そう言って差し出される、赤い揃いの缶を 俺は素気無く断わる。 ――――嫌です。・・・・そういうのは、嫌だって言ってるでしょう そう言うと、彼は 悲しくて寂しくてでも仕方ない、といった、小さな笑みを頬に浮かべた。 ・・・・・あの時も、寒かったなぁ。雪が降ってたんじゃないか、確か。 ぼんやりと思い返しながら、俺は今晩の夕飯のことを考える。 ――――“イルカセンセ、オレ、味噌汁ね。茄子の” ・・・あぁ、そうだ。いつもの任務後の、彼の口癖。また、彼はきっとそう言うだろう。 けれど、そんなこと言われたって、アカデミーに受付の仕事まである俺はいつも忙しくて。だからそんなときは便利なインスタントの味噌汁を出すんだけれど、すぐにばれちゃうんだよなぁ。 俺は、粉末になった簡易の味噌汁のパックを手に取り、苦笑する。他のものに関してはてんで味音痴の癖に、何故か、彼は俺の作った味噌汁だけは間違えたことがない。 ――――“イルカセンセイの作ったものには、味があるから” そう言って笑うのだ。そのわりに、惣菜なんかは出来合いのものでも、美味しい美味しいといって食べる。 ・・・・・仕方ない。味噌汁だけは作るかな。後は店のもので誤魔化そう。どうせ解らないんだし。 つらつらと考えながら、適当なパックを幾つか手に取る。きっと任務で栄養あるものはあんまり摂れなかっただろうから、せめて、滋養になるものを。 小さな惣菜のパックを見比べ、カゴの中へと入れる。昨日も一昨日もその前も、同じものを、同じ様に買ったことを思い出す。 ふと、そんな自分に気付き、口の端から苦笑が洩れた。 何やってるんだろう俺。あの人を振り払ったのは、自分なのに。今更、何を。 ―――― 一度、彼は無理矢理に俺の手を握ってきたことがある。 コンビニを出るなり、有無を言わさぬ強い力で。 寒い夜だった。夜の冷えた空気に、二人の息が静かに白く舞っては消える。 夜とはいえ、人通りのある場所だ。こんな所で、誰かに見られたらどうするんだ、と焦りや羞恥が先に立った。 必死で手を振り放そうとする俺を、闇の中でひたと見据える彼の目が、街灯に照らされて瞬間閃く。 暫く、無言の攻防があった。静かな路地に、響くビニール袋の擦れ合う音。 ・・・・彼は、譲らなかった。 真剣な面持ちで、少し高い位置から注がれる視線は、痛い位に嫌がる俺を見据えていた。 彼は、本気になっていたんじゃないかと思う。上忍の本気の前で、哀しいかな、中忍は為す術もないのだ。
結局、俺が折れた。 彼に掴まれていた手の甲には、暫く、彼の骨張った指の形が 赤黒く鬱血して残った。 次の日、出勤して 同僚にからかわれた。 俺と同じ職員寮に住む仲間の一人が、昨夜の俺達を目にしていたらしい。 当たり前だ。職員寮の目の前にあるコンビニなのだから。 その日、俺は初めてカカシさんを殴った。 任務が終わって真っ直ぐ俺の部屋を訪ねた彼を。 避けられるかと思った拳は、きれいに彼の頬に入り、彼の薄い唇の端に朱を滲ませた。 玄関先で、突っ立ったまま俺の拳を受けた彼は、勢い付いて横に逸れた瞳を、ゆっくりと俺に戻す。あぁ、こんな時でも倒れないんだな、流石、上忍だ、と頭の端で罵った。 ――――・・・・どうして避けないんです ――――“だって、何だかイルカセンセを怒らせたみたいだったから” その落ち着き払った物言いと、こんな時でも愛しいものを見るような深い瞳が、俺の脳髄を焼いて。 拳に残る熱が頭にのぼって、目蓋の裏を焦がした。 ――――・・・・あんたは、訳が判らない理由で殴り掛かられても、それを甘んじて受けんですか ――――“そんなことないです。―――けど、イルカセンセイだから。何か理由があるんだと思って。 彼の目は、どこまでも優しく、けれど どこまでも寂しそうで。その様子が更に、俺を苛立たせた。 逃げないのをいいことに彼の胸倉を掴み、大きな音を立てて壁に押し付ける。吐き捨てるように今日アカデミーで言われたことをぶちまけた。 ――――どうして手なんか繋いだんですか。あんな人前で。あんた、人がいるの知ってたんだろう!? すると、彼は そっと俺の拳に手を重ねた。俺を見詰める青灰色の、優しい瞳。 その手に、僅かに力がこもる。 ――――“・・・・・そんなに厭ですか。オレと手を繋ぐの。人に見られるのが。 ねぇ、厭なんですか、イルカセンセイ。” その目に、不安の影が見え隠れした。優しく真っ直ぐに俺を見ているくせに、哀しげに揺れる青い瞳。 縋るような、必死の目。 一分たりとも俺の表情を見落とすまいと向けられた彼の視線が揺らぐ。 俺の拳を握り締め、彼はぽつりと 言った。 ――――“そんなに恥ずかしいですか。オレと一緒にいるのが” 「―――――あぁ、恥ずかしいよ・・・」 小さく一人ごちて、俺は笑う。 自分の呟きで現実に引き戻された。いつの間にか、本の置いてあるラックの前でぼんやり立ち止まっていたようだ。雑誌を立ち読みしていた若い女性が、驚いたように俺の顔を見る。 ・・・・そう、あのとき。確かに俺は、彼にそう言ったのだ。
――――“オレのこと嫌い?イルカセンセイ” ――――そういう問題じゃない!はぐらかさないでください!! ――――“そういう問題ですよ。アナタの方こそ、はぐらかさないで” じっとこちらから逸らさない、必死の瞳に射竦められた。 悔しかった。男なんかに惚れてしまった自分。どうにも感情を収拾することができずに、喉の奥で蟠る。 そんなことを考えている自分が、情けなくて、悔しくて。 ――――・・・・・・・・ ――――“・・・・・・イルカ先生・・・?” ――――・・・嫌いですよ。あんたなんか嫌いだ。 ――――“イル・・・っ!!” ――――もう、あんなことはしないでください。手なんか繋がないでくれ。 ・・・・俺は、俺達の関係を公にすることを好まなかった。 むしろ、断固否定していたと言っていい。 だって、恥ずかしいじゃないか。 男同士で。こんな異常な事態を、周りに知られたら一体どう思われるだろう。 俺だって男だ。プライドもある。 そうやって陰口を叩かれて、好奇の目に晒されて そうして周囲から下世話な詮索を受けて生きていくのかと思うと、耐えられない。 だから、彼が望んでいたような 手を繋ぐ事とか 一緒に肩を並べて帰ることとか 同じ物を隣り合って歩きながら食うことだとか そういうことを通じて、俺達の関係を皆に知らしめることだとか そんなことは、絶対できなかった。 したくなかったんだ。 だから、俺は拒んだ。 彼の望む、あからさまな行為全てを。 ―――知っていた。 いつも、痛い位に俺の心中を推し量って、俺の許容を求めていた、彼。 俺の中に入り込む隙を、そうやって 窺っていた彼。 そうして、 静かに息の詰まるような愛情の籠った目で、いつでも俺のことを見ていた彼。 あの日も雪が降っていた。 ――――“ね、イルカセンセ。オレ 任務が入りました。明日っから暫く 会えません” ――――はぁ、そうですか。・・・上忍師でも、長期任務回されるんですね。 ――――“今は人手が足りませんからね。仕方ないんです。あ、7班のことはアスマに頼んでますから。 ・・・でも、終わったら すぐイルカセンセの所に行くから。そしたら、 ・・・・一緒に、コンビニで熱いヒレ酒買って、手 繋いで帰ってもらえませんか” 彼の目が、俺を見ていた。深い、寂しいその目に 俺は気付かない振りをした。 ――――・・・・・・・・・またあんたは、そんなことを。 溜息一つで、俺は彼から目を逸らした。答えは返さなかった。 雪が降っていた。寒い夜だった。 彼が、溜息と共に小さく笑うのが見えた。 そのときの、彼の顔が 未だに目蓋に焼き付いて 離れないんだ。 男同士だとか。地位の違いだとか。 プライドだとか、世間の目だとか。 「・・・でもね、本当は そんなことは何でもなかったんですよ」 小さく呟いて、所狭しと瓶の並ぶ棚の 端に追いやられている熱燗のドアから、小さなヒレ酒をふたつ。 手一杯になった買い物を、レジへと置く。 この店でいつもこの時間に店番をしている まだ若い少年。もう、顔を覚えてしまった。 置かれた酒や惣菜に、彼が怪訝そうに眉を寄せるのも、もう 毎日のことだ。 ――――そう、毎日。毎日俺は、同じ物を買う。このコンビニで。同じことを考えて、彼を思って。 もう何度目になるだろう。 「――――温めますか?」 「えぇ。お願いします。暫くかかると思うんで、ちょっと熱い目に」 「・・・・お箸は?」 「2本、お願いします」 「・・・・あの・・・・・」 言い辛そうに何度も俺の顔を見た後、心配そうに小さく掛けられた店員の声に、俺は笑顔を向ける。 「いいんです。俺、好きな人を待ってるから。その人のために、買ってやりたいんです」 もう、同じもので俺の家の冷蔵庫は溢れそうだけれど。それでも。 そう。上忍と中忍だとか、男同士だとか世間の目だとかプライドとか。 ――――そんなものは、本当は何でもないことだったんだ。 ただ、隣にいた あなたを俺が愛しているかどうか。たったそれだけだったのに。 アカデミーから里の中心にある商店街を抜けて、少し行った所にある 小さなコンビニ。 俺のしがない職員寮と、ほんの目と鼻の距離。24時間開いているこの店には何だって置いてある。 たった一つを除いて。 「ねぇ、カカシさん。・・・・この店で、あなただけが見つからないんだ。 ・・・・ちっとも、便利なんかじゃ ないですよ」 涼しい店から一歩出ると、ムッとした熱気が肌を撫でる。 剥き出しの腕に纏わりついてくる湿気に、押さえられていた汗が一気に吹き出した。 手に下げたコンビニ袋から、不快なくらいの熱い蒸気が漂って、その無意味さを嫌と言うほど俺に伝える。 今日も恐らく、熱帯夜になるのだろう。 腕に食い込む、重い買い物袋の位置を空いている方の手でずらす。がさがさとビニールが嫌な音を立てた。 汗で滑る指に、熱い缶がふたつ、触れる。 ――――好きだった。 夜道の先に、明るく輝くコンビニの光。外に面した本のラックで立ち読みをしている、あなたの陰になるその姿。 照明に輝く、銀色の髪。 あなたが俺に気付いて、嬉しそうに手を振るその瞬間が好きだった。とても、とても。 あぁ、俺は、あなたが好きだった。好きだったんですよ、カカシさん。 早く帰って来てくれ。俺はあなたに言いたいんだ。 好きだって。愛しているって。 謝りたいんだ。 あなたを、ちっぽけなプライドで傷つけてしまったこと。あなたの優しさに甘えていたことを。 俺は、あなたがいなくなって とても、寂しい。 「―――――カカ シ、さ・・・・・っ!」 汗に塗れた手に、熱いヒレ酒を握り締める。 額に当てて俯くと、堪えられずに涙が零れ落ちた。 擦れ違う人が汗だ、と思ってくれればいいと思った。 石碑に彫られた名前になんて、何の意味もない。 彼は、約束したのだ。戻ったら、俺のところへ真っ直ぐに来ると。 カカシさんはまだ、帰らない。 明日はきっと帰ってくる。明日こそは、きっと。 そうして俺は明日もまた、コンビニへと彼を探しに行くのだろう。
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