子供のころ、春になると毎日のように近くの原っぱに出かけては、たんぽぽの白い綿毛を蹴散らしたものだ。

  青空に吸い込まれるように上へ上へと昇っていく小さな種。

  風に乗り、まだ見ぬ土地へ旅立っていく綿毛があの頃はとても羨ましかった。

  いつか、いつか、自分も。

  太陽を目指し、空高く、飛んでいけるものだと信じていた。

  あの小さな存在が、無限の可能性の象徴だった。

 

  大人になった今、ふと思う。

  夜に旅立つ綿毛は、どこを目指して飛んでゆくのだろう。

 

 

 たんぽぽは月に飛んでゆく

 

 

 

あちら側とこちら側。

最初に線引きをしたのはいったいどちらだったのか。

 

 

目立つ人間というものは、人ごみの中でこそ真の威力を発揮するものだと思う。

スクランブル交差点を真下に臨む喫茶店でカフェオレを手にしていたイルカは、駅とは逆方面の小道から出て来たカカシに早い段階で気付いていた。

信号に引っかかり、腕時計をちらりと見つめて苛立たしげに舌打ちするその横顔に見蕩れている女子高生。

ダンサーとして鍛え上げた細い肉体を遠目にも質がいいと分かる黒のコートでつつみ、オフホワイトのマフラーをなびかせた立ち姿はまるでモデルのようで。

雑踏の中、そこだけ光があたったように彼は人目を惹いた。

彼が立つ場所、そこは即席の舞台。

通行人をギャラリーに、横断歩道の白線を軽やかに踏み飛ばして。

イルカに気付いたカカシがはっとしたように笑みを浮かべて大きく手を振った。

雑居ビルの二階の喫茶店の窓から、イルカは僅かに苦笑して小さく手の先だけで振り返す。

ふわりと笑みを浮かべて足を速めた男がビルの中に駆け込んでくるところまで見届けて、イルカは手元のソーサーに視線を移した。

十二月の街並みは忙しなく、華やかで……少しだけ息苦しい。

イルカはタートルネックのセーターの首元を指で引っ張り、押し殺した溜息をつく。

きっと今、自分はもっともこの華やいだ空気からほど遠い顔をしているだろう。

窓ガラスに映る自分の顔を見て、慌ててカフェオレを口にした。

茶色く濁った液体は、今のイルカの心情を表しているようでひどく舌に苦かった。

 

 

 

 

「ごめんね! 本当にごめんなさい!! 完全に読み違えてさ。こんなに渋滞しているなんて思わなかったから」

長身を折り曲げて、ぺこぺこと頭を下げるカカシにイルカは慌てて立ち上がり、椅子を引いて座らせた。

店内に入るやいなや客と従業員の注目を一身に集めたカカシは迷うことなくイルカの元へ駆け寄り、いきなり頭を下げ始めたのだ。

周囲の視線がこれ以上ない程、全身に突き刺さる。

「いいですよ。それほど待っていませんし、気にしないで下さい。車で来たんですか」

「ああ、はい。荷物が多くなるから車の方が楽かと思って。でも失敗ですね。ここから大分離れたところにしか駐車場がなくて」

「都会は駐車場が少ないですからね。駅に近いところは大概埋まっているし。一杯、飲んでから行きますか?」

寒さに耳の縁を僅かに赤く染めたカカシを気遣っての言葉だったが、カカシはすぐに立ち上がり伝票を手に取るとレジへと早足で向かう。

「カカシさん!?」

「いいよ。直ぐに出よう。イルカさんとの初デートだからね。ちょっとの時間もムダにしたくない」

耳元に口を寄せ、軽やかに告げるカカシにイルカは思わず固まって耳を押さえた。

大音響が鳴り響くショーパブの店内では、よくこうして相手の耳元で会話することがある。

イルカも夜の店の中でなら気にもしなかっただろう。

だが、今は昼。

控えめにJ-POPが流される喫茶店の中でのカカシの行為にイルカは内心「うわー」と悲鳴を上げた。

分かっている。

カカシに他意はなく、いつもの癖で話しかけただけだろう。

イルカをからかうような台詞も今更驚くことの程ではない。

何も意識などしていないに違いない。

だからこそ、質が悪い。

自分がどれだけ目立つのか自覚していないカカシの言動にイルカは目眩を覚えた。

「イルカさん?」

顔を真っ赤にさせてイルカは片手で顔を覆う。

見たくない。

周囲がどんな顔で見つめているかなんて、絶対に知りたくない。

待たせた詫びだと言って有無を言わせず支払を済ませたカカシの後を、イルカはひたすら床を見つめながら追った。

ガラス扉がしまった途端、黄色い悲鳴が聞こえてきたのは……気のせいだと信じたい。












・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わーい!「ななつや」水城蓮さんとのコラボ企画、第二弾です。
クリスマスに向けて、連載になりますよ。