ほしいものはたくさんある。

 

たとえば、いちめんに敷き詰められたぶどうのじゅうたん。輝く星屑のゆびわ。あたらしいぴかぴかの靴に、どれだけ舐めてもなくならないキャンディ。(できればぶどう味がいい。)

それから―――

 

海におぼれる夢を見て、ランボはふ、と目を覚ました。夜の空気は夢のなごりを浮かべたまま、けだるくよどんでいる。壁掛け時計は、深夜2時すぎをさしていた。甘ったるく頭が重いと思ったら、長いまつげに絡まっていた涙が、ぼろぼろと音を立てて枕へすべりおちる。

また、ないてた―――オレ。

真夜中の青い部屋の中は、自分の涙で嫌な湿度をもって、じっとりと身体に纏わりついてきた。

半身を起こすと、ひどいめまいで 頭がぐらぐらする。腹にかかったうすいタオルケットを抱いて、夢の余韻にひとしきりべそべそ泣いた後、ランボは垂れさがる長いシャツの袖口で顔を拭い、ひかりの漏れている隣の部屋へとむかった。煙草の濃い匂いが、あふれるように充満しているその部屋では、この時間にもかかわらず、黙々と仕事をこなす銀髪の青年の姿があるのを知っている。

やはり今日も、アルミ製のシンプルなスツールには、山と書類が積んであった。机にふたつ、ひろげたノートブックをみくらべ、ひっきりなしにキーボードを叩きながら、白い悪魔と格闘する青年の背中。よれたシャツを乗せた背は、いつもながら鬼気迫る様相だ。彼はときおりいらいらと髪をかき上げ、手持無沙汰にくわえた煙草を、もうすでになにかの墓場のようになっている灰皿へ押し付け、濃いめのコーヒーを啜る。目が痛むのか、眼鏡をはずしてはまぶたを揉み、ほそいフレームを手の中でたわませながら、またノートブックへと向き合う。その長い銀髪が、無造作にひたいの上で束ねられているのを見て、ランボは思わず笑った。

「おかしー、獄寺。へんなの、その髪」

笑い声と共に洩らされたその声に、銀髪の青年がぐるりとこちらを振り返る。眉間には書類でも挟めそうなくらい、深いしわが不機嫌に刻まれていて、その目つきでひとの一人や二人、射殺せてしまいそうだ。

「・・・っのバカ牛!てめぇ、まだ起きてやがったのか!」

あしたも学校あんだろうが!よりにもよって、寝起き最悪なくせして、調子に乗ってんじゃねェ、と 機嫌の悪さをそのままぶつけようとした獄寺隼人は、ふと 踏ん切り悪く言葉を濁した。

「―――んだよ・・・怖い夢でも見たのかよ」

ちいさな牛の子の眦に刷かれた赤いあとを見て、獄寺はさらに眉をひそめる。

「べつにー。ランボさん、こわいものなんてないもんね」

言いながらつかつかと部屋の中に入ってきたランボは、獄寺の背にぎゅう、ともたれ込んだ。虚を突かれた獄寺は、ふいに首にぶら下がってきたその乳くさい生き物を慌てて引きはがす。

「・・っめェ!いきなり首絞めるたぁいい度胸じゃねぇか!」

「ねぇねぇ、獄寺ぁ」

甘えた声で首に垂れさがるこどもは、黒いまき毛をぐりぐりと押しつけながら、獄寺を探るように見遣る。

「・・・ランボさん、ぶどうが食べたい。」

「――――はァ?」

突然の申し出に目を丸くした獄寺は、夜更けの不機嫌も相まって大仰に顔をしかめた。

「バカも大概にしやがれこの野郎!いま何時だと思ってやがる!」

「やだやだ!いやだ!今たべたいんだもん!食べるまで寝らんないー!」

頭を押しのけられ、頬をつねられ、耳をひっぱられ、それでもがんとして獄寺から離れずに鼻先をすりつけてくる子供に、獄寺は腰から崩れ落ちるような疲労を感じた。そう言えば、もうここ一週間ほど、まともに寝ていない。急激に思い出された仕事の山と、まだまだこれからふりかかってくるだろう災難に、呆れや怒りを通り越して口から魂が飛び出しそうになる。

いっそのこと殴ってしまえば落ちつくんだろうが、それはそれで、辺り一帯に響き渡る大声で泣き喚かれた後の処理の方が大変に決まっている。

半ば放心状態で、こうるさい生き物をどうしてなだめようか考えを巡らせるが、このやたらと頑固な牛の子は、こうなってしまえば梃子でも譲らない。しばらくの同居ですっかり染み付いてしまった行動パターンに、獄寺は骨ばった手を額に当て、天を仰いだ。

「ぶどうって・・・お前なぁ。さっき晩飯の時、全部食っちまっただろうが!そんな都合よく、いつでもあると思うなよ」

「でも、ぶどうがいいんだもん・・・他のじゃいやだ」

・・・はじまった。

堂々巡りのわがままに、これからの不毛な言い争いを予想して、獄寺は意図的に道筋をわきへずらす。もうすっかり慣れてしまった、この子供の行動パターン。

「――――・・飴ならある。ぶどう味のな」

「―――――じゃあ、それでいい。」

しぶしぶ溜飲を下げたらしい駄々っ子に、獄寺は深い溜息をつく。魂も飛んでいきそうなくらいの、特大のやつを。


愛する十代目からは自分が溜息をつくたびに『だめだよ獄寺くん。しあわせがにげるよ』と困った顔で諭されるものだが、俺が今被っている不幸の全部は、この忌々しい子供によってもたらされているに違いない。

こいつのせいでさらに溜息が増え、不幸が舞いこむという最悪のスパイラル。

思いついた嫌な想像に、獄寺はまた肺の中の空気をからっぽにすると、 どけ、とからみつくほそい腕を跳ね除け、固まった腰を伸ばしながらキッチンへ向かった。


シンクの脇に整然と並べられた調理器具は、獄寺の自慢だった。使いやすいものだけを吟味し、加えて見目も心地よいものだけを選び抜いてある。なにごとも形から整えれば、そこに入る中身も必然的に美しくなる。それが彼の信条だった。だがしかし、あの牛の子供を引き取ってしまったせいで、センスの良い食器たちも、美しい曲線を描くケトルやトングも、もはやひっかきまわされて見る影もない。

獄寺は眉間のしわが深くなるのを自覚しながら、背の高い食器棚の上から、キャンディの缶を取り出した。

ランボにはどう頑張っても届かない位置にあるそれを指先で引っ掛けると、中から大ぶりな飴玉をひとつ、取り出す。

グレープの風味がついたカラメルに、ほんもののぶどう粒が巻かれ、さらに外側にはざらめが層になっている。
高い飴だった。おいそれと食わせてやれるようなものじゃない。けれど、普段は甘いものなど全く食べない自分が、そんな必要ない菓子をストリートで見つけたパスティツェリアであがなったのは、手に取ったときに馬鹿な小牛の喜ぶ顔を想像してしまったからで。獄寺は、いままで鬱陶しいだけだった小汚いこどもが、じわじわと自分の生活のなかに浸食してきているのに気付き、また溜息をついた。

 

部屋に戻ると、ランボは自分の椅子に腕をからめながら、退屈そうに机の上の書類をかきまわしているところだった。

「――――って、オイ!この馬鹿野郎!なにしてやがる!」

大声をあげると、びくりと身をすくませたランボが、おどおどした目でこちらを見上げてくる。

「ち、ちがうもん・・ランボさん、獄寺を手伝ってあげようとしただけだもん」

「手伝うっつーのはなァ!仕事を増やすことじゃねぇんだよ!あぁもう・・・せっかく順番に並べてあったのに、なにしてくれんだ!」

すい、と押しのけられ、ランボは不満げに頬を膨らす。けれど、すぐに獄寺の手に美しい包みが握られているのに気付き、ぱっと顔をかがやかせた。

「獄寺!それちょうだい!」

「畜生・・・ったく――――おらよ!やるから早く寝てくれ・・」

そして取り敢えず、早く俺を仕事に戻らせてくれ―――

獄寺は今日何度目とも知れない溜息を吐いた。なにしろ、明日の昼までに本部へ提出せねばならない報告書が2件、夕方の会議に間に合わせなければならない案件書類が少なくとも4件、あるのだ。背骨がひき抜かれたような脱力感を味わいながら、期待に満ちた表情でこちらをみつめるこどもに飴を投げ与える。


うわなにこれ、とか、すごい、きらきらしてる!とか、豪華な包み紙を矯めつ眇めつしてゆっくりはいでゆくランボを見ながら、獄寺はその白い首筋を、最近急にのびやかに育ちだしたほそい手足を、見るともなしに眺めた。

おおきなパジャマ代わりのシャツからのぞく、上気したえりあしに、やわらかく絡まる漆黒の巻き毛。ふくふくと膨らんでいた赤ん坊のころの面影を捨て、少年のおもむきを見せだした滑らかな頬。
特徴的な、(彼のことをよく知らない相手は、誰もが憂いがあって美しいと称賛する)碧にひかる瞳はくっきりとした二重まぶたの中に収まり、長いまつげに彩られている。甘えたな様子がそのまま出ている、すこし垂れた眦に、興奮すると真っ赤に熟れる唇。

今までまるいばかりだった身体から無駄な脂肪が抜け、その分上へとのびようとしているすべらかな手足は、この時期特有の危うさで、未発達な身体の中でアンバランスに長かった。

艶めかしい、というほど完成されたものではない。ことばにできるほど確定的なものでもない。(だって、こいつはいつまでもマンモーニが抜けない がきんちょだ)けれど、少年期独特の儚い色香を漂わせ出した、この13歳のこどもは、最近無自覚な色気で獄寺をふと、不安にさせる。

大丈夫か――――こいつ。学校とかでいじめられてんじゃねぇだろな。

包み紙の中から出てきた大粒の砂糖菓子に歓声を上げながら、膝にじゃれついてくるランボを猫と同じようにあしらい、獄寺はまた密やかに溜息をつく。

 



ボヴィーノから守護者としてボンゴレへひきぬかれ、いままでのわがまま放題の王国から一転、誰も構ってくれる者のない、常に争いの気配の絶えない巨大組織に移り住むことになったランボは、初めのころは不安定極まりなく、すぐにかんしゃくをおこしていた。
アジトにあてがわれた広い自室はおろか、ボンゴレの本拠地中にいたずらしてまわり、手に負えないありさまだった。業を煮やした幹部がこぶしにものを言わせても、幼いなりのきかん気で、断固としておさまりを見せない。

見る影もなくはれ上がった顔で大人たちをにらみつける牛の子を見て、獄寺は妙な既視感に、居心地悪い思いを味わった。

似てる。―――昔の俺に

外面だけはこのうえなく美しい大きな屋敷で、居場所を見つけられず ただひたすら虚勢を張ることでしか自分を保てなかった幼いころ。うつくしい母は負い目からか、なかなか会いに来てはくれず、腹違いのかしこい姉を憎みながら、常に自分の居場所を探していた。
目つきだけがどんどん悪く、鋭くなり、かわいげのない子供だとつまはじきされた。

中身のない、空っぽのはりぼてのような城の中で。


意識したのが失敗だった。噛みつかんばかりの自己主張をする牛の子に腹を立てながら、ともするとその様子が気になり、いたずらでげんこつを落とされてばかりの彼の尻拭いをしてやり、口汚く罵りながらも何かと世話を焼いてしまう。

そんな中、唯一守護者の中で未就学児であったランボをボヴィーノから預かる手前、教育をつけないわけにはいかず、由緒正しい名門校へと送ったのがそもそもボンゴレの間違いだった。協調性など皆無の駄々っ子は、すぐに山ほどの問題をおこし、顔じゅうに張られたばんそうこうと校長の立派なクレスタ付きの書状と共に、熨斗をつけて送り返されてきた。

さすがにまずいと家庭教師をあてがったものの、もともと落ちつきのないこどもが、遊び道具の山とある(実際はほとんどが遊具とはかけはなれたものなのだが)アジトでじっとペンを握っていられるわけがないのだ。結局どの家庭教師も2カ月と持たず、ランボはまた自由の身となった。

(―――いや、見放された、んだ)

獄寺は思う。あの子供は馬鹿だが、決して勉強を嫌っているわけじゃない。その証拠に、ひとりでいるときは意外なほどに本を読み、解らない所だろうと解っているところだろうと、誰かれ構わず捕まえては質問攻めにする。自分を見てほしいという自己主張が強すぎて、がんじがらめになってはいるが。

(俺にもこんな頃が、あったよな―――)

遠い記憶はもうはっきりと思い出せないが、大人の腰のあたりにしか届かない背で、必死で背伸びして世界を見ようとしていたころ。あぁ、なんか、自分なりの美学があって、それにそって意地はってんだよなぁ―――大人には、全然わかっちゃもらえねぇんだけど。

そして、ランボの2度目の転校の話が持ち上がった時、そこが校則に厳しい、全寮制の学校だと知って、幼い牛の子は 今まで聞いたこともないような悲痛な声をあげて泣いた。絶対にいやだと柱にしがみ付き、迎えの者の腕に爪を立ててかみついて、新しい制服の、洒落たタイやシャツが見る影もなくぼろぼろになるまで暴れまわった。

『――――やっぱり、みんなオレのこといらないんだ!オレを置いてってしまうんだぁ!』

大きな瞳がでろでろにとけてしまいそうなほど涙を流し、ぐずり、出てきた教諭に「しつけがなってない」と 短い鞭でしこたま打たれた彼は、たっぷり3時間、その騒動をくりひろげて、ようやっとおとなしくなった。

何のことはない、泣きすぎて、叫びすぎて、喉が切れてしまったのだ。せっかく買いそろえてやったうつくしい臙脂のタイも、グレイのシャツにロイヤルブルーという小洒落た制服も、涙やらよだれやらにまみれて見る影もない有様だった。ぼろ雑巾の様になった巻き毛のこどもは、声が出ないと知ると、その碧に澄んだ瞳から大粒の涙をはたはたと音もなくこぼした。唇を震わせ、顔を歪め、まるでこの世の終わりが来てしまったみたいに泣いた。

そのとき、ランボの引き渡しと手続きのため、ボンゴレから同行していたのは獄寺だった。彼は、決して暇ではないその3時間、部屋の隅に背を凭せ掛け、煙草をくゆらせながら牛の子の孤独な戦いをじっと見ていた。

ぐったりと壁に崩れ落ち、首を垂れ下げたランボに、「・・・なぁ、」と声をかける。真っ赤にとろけた瞳をあげて、牛のこどもはのろりと顔を起した。焦点の定まらない視線で獄寺を捕らえるなり、目を歪め、真っ赤に染まった唇がかすかに動いた。

『おいて、いかないで』

 

獄寺はおおきく溜息をつくと、力なく垂れ下がった巻き毛に指をからめ、わしゃわしゃと撫でた。

「―――そのかわり、みんなの言うことを聞くか?」

泣きぬれた瞳が、信じられないというように大きく見開かれる。間伐入れず、渾身の力でランボは首を縦に振った。

「勘違いすんじゃねぇぞ。学校へは行くんだ。屋敷じゃお前は周りに甘えすぎる。そろそろきっちり根性鍛え直してもらうことも必要だ――――ただ、そんなに寮が嫌なら、うちから通え。俺が使ってるアパルタメント・・・ミラノのあれなら、ここまでそう時間もかかんねぇだろ」

ごくでら、とあかい唇が震え、ランボはなんども首を縦に振った。

「お前みたいなやつに寮に入られちゃ、この学校自体の迷惑になっちまう。けどな、ここは本当に由緒ある、良い学校だ。もし特例が認められるのであれば、ぜひここでこの馬鹿を鍛えていただきたいのですが―――スィニョーラ?」

獄寺はこどもの脇に立つ、細身の教師に目礼をする。アッシュブロンドをきつく頭の上に結い上げ、フレームのない眼鏡をかけた女性教諭は、口元に刻まれたしわを引き上げ、ふぅ、とため息をついた。

「―――いいでしょう。私もこんなしつけ甲斐のあるこどもに、久々に出会いましたよ」

鞭を手の中でなでながら、この大きな学園を取り仕切る女性校長は鷹揚に笑った。腕には獰猛な子供と格闘したひっかき傷が、山のようについている。

獄寺はランボの非礼をわび、レディの腕を台無しにした謝礼を申し出た。

 

保護者の前で堂々と子供を打つ、裏表のなさも気に入った。それも、理由のない暴力ではない。きちんと言葉で諭しながら必要な部分は鋭い鞭で黙らせる、その昔ながらのやり方を貫く女教師にも感服した。なにしろ、この初老の教師は3時間もの間、あきらめることなくこの馬鹿な仔牛と格闘し続けたのだ。
ここなら、任せられる。うわべだけにこやかで、土壇場で放り出してしまう家庭教師のようにはならないだろう。そう思ったとたん、獄寺は何やら親めいた感情に自分で苦笑いした。

 

こうして、獄寺とランボの奇妙な共同生活は始まったのだ。