「じゃあ、これで頼むわな」





軽い言葉と共に、ちゃりん、と報酬箱へと投げ入れられた この国で3番目に価値の低いコイン。
里は、その報酬で任務を承諾した。
俺は依頼者の横に控えながら、そのコインの音のあまりの軽さを ぼんやりしながら聞いていた。






ワンコイン・オーガナイゼーション






アカデミーの自販機前だったと思う。
彼――仮に、カエデとしておく――と 初めて会ったのは。
どうしてこんなに回りくどい言い方をするのかというと、今となっては、彼の本当の名前がなんだったのか、知る由もないからだ。だから俺は、彼が名乗ったその名を彼の名前だと思うことにしている。

俺が中忍に昇格して、しばらくしてのことだった。ある日、昼休みに自販機の前を通りかかると、その小さな機械の前に這いつくばって、悪戦苦闘している少年がいた。
真っ赤に白地の入った派手な自販機の下の僅かな隙間に 小銭が転がり込んだらしい。
見れば、恐らく同い年くらいの少年だった。短い鳶色の跳ね髪に俺と同じ額当てをしていたから、どうやら中忍らしいと見当をつける。
その様子があんまり必死で、赤い顔をしてうんうんやっていたもんだから、俺は思わず歩み寄って声をかけた。


「どうした?金、落としたの?」

「・・・あぁ、そうなんだ・・・なかなか手、届かなくてさ」

「ふうん・・・ちょっと見してみ・・・・あぁ、こりゃ無理だよ。ここ、入り込んじゃうと ぜってー取れねぇの。」


一緒になって覗き込んだ自販機の下は狭く、ちょうど配線の絡まっている部分の更に奥に小銭は入り込んでしまったらしかった。


「そっか〜・・・ちぇ、残念だな。コーヒー飲みたかったのに」


器用にぱちんと指を鳴らし、大仰に残念がる彼がなんだか可笑しく、親しみを感じた俺は 彼の肩を軽くはたいた。


「しゃーねーな。奢ってやるよ。俺もコーヒー飲みたかったんだ」


二枚のコインで缶コーヒーを二本落とし、彼に差し出すと、彼は鳶色の瞳をくるりと輝かせて言った。


「マジ!?いいの?」

「いーよ。気にすんな」

「わぁ、サンキュー!お前いい奴だな!」


コーヒー一本で小さい子供みたいに顔を輝かせる、彼はとても人懐っこく、気安い奴だった。
たったワンコイン。一本のコーヒーで俺は、彼との友情を手に入れた。






彼は自分のことを「カエデ」と名乗った。
年は俺と同じ。俺より1年早く中忍になっていた。

その日から、俺たちは顔をあわせる度につるむようになった。同じ一人暮らしのカエデと俺は、何かと気が合った。一緒に飯を食べ、お互いの穴場を教え合っては一緒に鍛錬し、時には同じ任務に携わったりもした。

カエデは良く笑いよく怒る、開けっぴろげな少年に見えた。情にも厚く、一度俺が『はらへった』と零していた時に、『あのときのお礼だ』と言って たい焼きを買ってきてくれたこともある。
地史に詳しく、意外にロマンチストで、俺以上に涙もろかった。








「おれは本当は、遠い国で生まれたんだ。」


任務先で星を見上げながら野宿していたとき。一度、彼が呟いたことがある。


「おれの家族は、そこで暮らしてる。母さん譲りの、きれいな黒髪の弟がいてさ。
そう、イルカに似てるよ。生まれたばっかりだったんだけど、もう大きくなってるだろうな。」


遠い星を掴むみたいに手を伸ばしながら、ぼんやりと彼は言った。








"木の葉の者ではない"

本来ならば、聞き逃す事の出来ない 上層部に伝えるべきこの話を、俺は黙って聞いていた。


「・・・帰りたいか?」


夜風に凍えた木の肌に背を預けて、俺は彼の方は見ずに、空を眺めながら訊いた。
傍らで彼が溜息をついて、少し笑う気配がした。


「まぁ・・・時々、な」


寒風にマントを身体に巻きつけるようにして、鼻を啜る。
静寂が耳に痛い、深いポケットに落ちてしまったかのような夜。
しばらくの沈黙の後、ぽつりと彼が漏らす。



「・・・やっぱり、帰りてぇな。」








俺はこのときのことを、誰にも話さなかった。ワンコインの友情を守ろうとか、そういう正義漢ぶった感情からではない。
ただ、このことを密告するのは、お互い対等に付き合ってきた彼に対して酷くアンフェアに思われた。彼は俺に素性を話し、俺はそれを胸に秘める。それによってこの対等関係は成り立ってゆくものだと思えたからだ。

だが、千里眼の里長には、恐らく何を隠したとしても無駄だったんだろう。
俺がカエデからこの話を聞くよりもずっと前から、火影様は彼を注意人物の一人にリストアップしていたらしい。
その頃 俺は数度に分けて巧妙に呼び出され、火影様より直々に、カエデの「監視役」としての任務を与えられていた。

友情を任務に利用するということに、迷いがなかったといえば嘘になる。
何も知らない彼が屈託なく笑いかけてくるたび、変な勝負・・・それは、演習場までどっちが先につけるかとか、饅頭をどっちが多く食えるかとか、そういうくだらないものばかりだったが・・・に全力で一喜一憂を見せるたび、俺の胸は鉛を飲んだかのように重く詰まり、指先は針を突き立てられたように痛んで震えた。



けれども、俺は木の葉の忍びだった。
木の葉の里の人達はみんな好きだったし、両親を亡くして以来何かと目を掛けてくれる里長を、肉親のように敬愛していた。

だから、俺は彼を前にしても随分巧く笑えていたように思う。胸を押さえて、指を隠しながら、まるで何も知らないふりをして、カエデの友達を演じ続けていた。

できれば何事もおこらずにこのまま楽しく過ごせたら。それだけは、嘘偽りない本心だった。







運が悪かったのかも、しれない。


その日、里に舞い込んだのは、Dランクの依頼だった。持ち込んだのは、ある旧家の一商人。
依頼内容は「ネズミ捕り」。

最近 蔵にネズミがいるらしく、たまに物音が聞こえるもんだから。被害が出ない内に頼むわ、とぼやきながら、彼が投げ入れた一枚の銀貨。





俺も里長も、知っていた。木の葉に入り込んでいる他国の間諜たちが、その商人の蔵の一つを 会合場所として利用していること。その会合は近頃頻繁に行われており、恐らくそろそろ彼らが何らかの動きを見せてくるであろうこと。

そして、その間諜の中の一人に、カエデがいること。




俺の危惧は現実になった。 彼らがことを起こす前にそれを封じようと策を講じていた木の葉にとって、これはこの上ない口実となった。
利害関係が一致した里は、何食わぬ顔でその依頼を受理した。








その任務は、俺へと下された。

















冴えた満月の晩だった。

任務は、とても簡単だった。こちらの作戦通り、会合中を襲撃された間諜たちは、慌てて体勢を立て直しながら、外へと飛び出す。
木の葉の張った、包囲網の中に。

カエデと対峙した時、俺は驚くほど冷静だった。見た事のない刻印の入った額当てを巻いた彼を見ても、何ら動じることはなかった。
逆に取り乱したのは彼の方だ。確実に逃げられない、忍びの包囲網の中から俺がゆっくりと現れたとき、彼は激しく動じ、鳶色の目を見開いて震える声で俺の名を呼んだ。
まさか、俺に謀られるとは思ってもみなかったんだろう。
だが、無表情の仮面をつけた俺は、木の葉の忍びとして、敵と対峙していた。

間諜たちの国のものなのか、彼らは独特の戦闘スタイルを持っていた。それら全てを知り尽くし、巧妙に策を練ってきた俺たちと、急襲をうけた彼らとでは、もはや結果は火を見るよりも明らかだった。
それらをカエデから探り出したのは、俺だった。同時に、カエデの癖や攻撃の型も、もういやというほど身を以って知っていた。何十回と繰り返した鍛錬。暗器が慣れ親しんだ軌道を描いて繰り出されるたび、その裏を突いて死角に攻撃を繰り出す。
彼のクナイが跳ね上げられ、防御が遅れた彼の喉元はがらんどうになった。それはいつまでたっても直らなかった、彼の悪い癖だった。








10分とかからなかった。
退路を塞ぎ、俺が情報を余さず教え込んだ部下たちは、一人残らず間諜たちの命を絶った。

俺の足元には、喉から止め処無く鮮血を流す、「カエデ」と呼ばれていた男の死体が転がっていた。
俺の好きだった鳶色の髪は血をたっぷり吸って、真っ黒に見えた。


とうとう、俺は彼を故郷へ帰してやることが出来なかった。
俺が、そうした。

クナイから血を振り落とすこともしないまま、俺はぼんやりと辺りの気配を探り、戦況を確認する。
数分後には処理班が到着するはずで、きっと彼らの姿もこの戦いの痕も、跡形もなく消し去られるんだろう。





俺は木の葉の里が好きだ。
恵まれた気候に育まれた、豊かな大地に活気のある町。
ふざけあって毎日を過ごす仲間や、昔馴染みの温かな人達。
そして、誰よりも優しい里長。

木の葉の忍びであることは、俺の誇りだ。だから、里を守るために忍びであり続けなくてはならなかった。
ここで涙を流すことは、何よりも愚かしい行為に違いなかった。





見上げた空には、冷たい満月。
銀色に輝くそれは、俺が自販機に入れたワンコイン。報酬箱に投げられた、この国で3番目に価値の低い銀貨。


俺もきっといつかは、一枚のコインによって命を落とすのだろう、と ふと思った。




冷たい風が、仮面を毟り取る。銅貨一枚の友情、銀貨一枚の裏切り。

頬を伝ったひとつぶの涙。




たった一枚のコインで命がやり取りされる、ここは。

















ワンコイン・オーガナイゼーション  終