桜の話を知っている?うつくしく咲く、鮮やかな桜の木のはなし。
銀色の花のことは?森の奥深くに咲く、銀の龍をかたどった不思議な花のこと。
春の土は、ふかふかと柔らかい。
太陽をすって、命をたくわえて。今まさに芽吹こうとする無数の種を抱いた土壌は、生命をもってどくり、どくりと鼓動している。
―――あぁ・・心臓の音が、きこえる
オレはあまい匂いのする土に、頬をすりつけた。きょうぼうな生命の匂い。
すこし湿った暖かな土は、ふわりとオレの耳をうずもれさせる。鼻先を淡い風が通り抜け、それに揺らされたきみどり色の若い下草たちが、オレの腕を、背中を、裸足のあしの裏をくすぐった。
「くっく・・・」
幸せに身体をまるめ、オレは笑う。鼻先がくすぐったい。頭の上に大きな枝を広げる太い木が、上からちいさな光の粉をふらせているのだ。
細かい細かい、編物の目みたいな若葉が無数に枝から萌え出でて、その太い幹のそこかしこを彩っていた。
子供のように家から持ちだしてきた毛布が、やわらかな風にふうわりと舞う。その端をぼんやりと手で捕まえて、オレははためく布越しに空を見上げた。
太陽と、若葉と、冬の落ち葉で太った土と。木の肌の感触と、小鳥の声。
今まさに生きだそうとする 命の匂いをふんだんに含んだ空気が、ほの甘くぬるんで オレの前髪をかきあげていく。
みあげた先には、まばゆい木漏れ日。目を細めると、その隙間から木々の花粉がこぼれおち、雪のようにオレに積もっているのだった。
――――うもれる。
オレは体に巻き付けた毛布を引き寄せ、春の寝床をじっと肌で味わった。目を閉じる。
―――うもれるよ――――・・・この、命のなかに
光をあびすぎた目玉が、熱く膨れている。左目にはしる傷がひきつれ、閉じた瞼の下で涙の膜がうっすらと張った。
うもれて、とけて―――オレも、森の一部になる。新しい命に、なるの
頭を柔らかな地面に擦りつけて、指先をそっと ふくよかな土壌にもぐらせる。ひんやりとした水分の多い土が、指先をやさしくつかんだ。
自分がこの豊かな森の中にとけ、小さな新芽になって芽吹くのを想像する。
何も知らない、つやつや輝いた
はじめて見た外の世界に、心を震わせている、朝露の似合う小さな芽だ。
身体の境界がなくなり、土の中にそっと同化していく。とけて、なくなって、ひろがって、また新しいものになって。ほかの命の一部になって、ほかの命が生きるのを支えて。
奪うのではなくて、命をはぐくむものになって。
幸せすぎて、くるしくて、涙が出た。
「―――あんたまた、馬鹿なこと考えてるでしょう」
やわらかな光といっしょにおちてきた声を、オレは肌で受け止める。ききなれた、ふかく沁み入るやさしい声は、身体を包む毛布に似ていて。
土にとけだしそうだったオレの輪郭にふわりとからまり、地面の上へと押し上げた。
「またこんな、訳のわからないことを―――だからあんた、変人扱いされんですよ」
森の中でひとり、毛布にくるまって。土まみれになりながら寝そべるオレを見て、声の主は は、とためいきをつく。呆れ顔と、鼻の傷にしわがよせられているのが、みえなくてもわかった。オレは目を閉じたまま、へらりと笑う。
まぶたの裏側で、光がちらちらとモザイクを描いている。
「――――もう見つかっちゃったの。・・・もうちょっと、寝てたかったんだけどねぇ」
「莫迦言うんじゃありませんよ。任務もほったらかして、この給料泥棒」
オレの軽口に、間伐入れずに小言を返される。瞼の裏で、ゆがんだ彼の顔がはっきりと思い浮かべられて、オレは思わず苦笑した。
「・・・夢を見て、いたんです」
オレはぬるく優しい余韻に包まれながら、夢うつつに呟く。
「あったかい夢でした。オレの身体が地面に吸われて、森の一部になるの。まわりの種の栄養になって、いっしょに芽吹いて、花を咲かそうと頑張るんです」
言いながら、自分の体はひょっとして、もうすでに土の中に沈んでいるのではないかしら、と思った。いつの間にか、オレが望んだように溶けて土にしみ込んで、森の一部になっているのではないかしら。
おろした瞼の下で、困惑する彼のようすがはっきりとみえる。一つくくりの黒髪が光の粒をのせてそよいで、優しいにおいを広げている。
もしそうなら、今のオレはなんだろう?たんぽぽかな。ほとけのざかな。のげしやすみれなら、アナタは摘んで家に飾ってくれるだろうか。
最後に残ったのは声、なんて、ちょっと素敵じゃないですか。
・・・けれど、風に吹かれた毛布がまだ人の形をしているオレの輪郭に絡まり、オレの身体の存在を教えた。オレはそれになぁんだ、とため息をつく。
「―――もうちょっと、だったんだけどなぁ」
「・・無駄ですよ」
春の欠片たちにからまりながら、彼の声が空気にほどけた。
「あんたが森の一部になってしまったとしても、」
思いのほか、耳をなでる彼の声が心地よくて、オレは目をあけられずにじっとその声に耳を澄ます。余計なものを全部とりさって、純粋に耳だけが受け取った彼の声は、いつもよりずっとやさしい。
だから、彼の心の動きや、息づかいまで、全部わかる。いま、少しためらったでしょう。目を伏せたね。だけどアナタ、ちょっと唇を咬んでから、オレの方まっすぐに見た。にらむみたいにね、透き通った視線がつきささるよ。
一瞬の空白のあと、彼が言う。
「俺、花畑の中から、きっとあんたを見つけますよ」
オレは眉をひくりとはねあげる。ポーカーフェイスを貫こうとしたのに、不意をつかれて、おもわず唇がほころびた。
ゆるんだ唇の端から、笑い声が漏れる。幸せなこどもみたいに、おなかの中がぼんやりと温かくほてって、むずむずした。
「・・・わぁ、すごーい殺し文句、ね。ソレ」
くすぐったい気持で顔をにやけさせたオレを見て、たぶん真っ赤になってるんだろう、体温をあげた彼が「馬鹿、」と意固地に吐き捨てる。
「そうしてまた、任務に引っ張って行ってやるんです!」
ほら起きて!と あたたかくぶあつい二つの手のひらが、頼りなく生えたオレの花をそっとかきわけて。
手折るのではなく、土から根っこを掘り出すと、ふらふらとか弱いその花を胸に抱きしめる。
まだ土をたくさんつけたままのオレは、その人の胸を汚してしまわないか心配で、うっかり目を開けてしまうのです。
そうして、ばかな魔法は解けて、オレはまた人の姿に戻るのでした。
「おかえりなさい。カカシさん」
・・・あれ。
「・・・なんでアナタがそんな顔してんの、イルカセンセ」
春の土みたいにあったかく湿った彼の顔を見て。思わず差し出した自分の手が、まだ人間のものでよかったな、と思う。
オレが花になるのは、まだまだ先の、話。