人間本気で驚くと声が出ないと言うが、あれは嘘だ。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
目が覚めた直後、年下のバディの顔面ドアップを目にした虎徹は叫んだ。
自分の口からはとても説明できないようなとんでもない淫らな夢、というか夢? 夢だったのかよ!!
とにかく悪夢と言っても差し支えないような夢から覚めたと思ったのに、目を開けたら夢の中で見ていた顔がそこにあったのである。
思わず叫びたくもなるだろう。既に叫んだ後だが。
「人の顔を見て叫ぶなんて、随分失礼ですね、あなたも」
不機嫌そうにバーナビーが鼻をならすがそれどころじゃない。
「な……んだよ、ほんと……」
視界に映る室内は見慣れたアポロンメディアの職場のもので、蛍光灯の明かりが眼に眩しい。スリープモードになったパソコンが、黒い液晶画面に寝ぼけた顔をした虎徹を映し出している。
何度瞬きしても変わらない景色と、腕に触れる机の冷たさ。出勤時にテイクアウトしたコーヒーはすっかり冷え切っていた。
「これが現実、だよな?」
眉間に皺を寄せて真剣な顔で残りのコーヒーを飲み干した虎徹に、それまで黙って様子を伺っていたバーナビーが首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
頬に添えられたバーナビーの手の平の感触に咄嗟に口元を両手で押さえた。
じわっと額に汗が浮き出て、瞬間的にわき出た唾液を飲み下す。
うわぁぁぁと思っている矢先、バーナビーの翠眼が細められた。
「顔、真っ赤ですよ?」
「だっ! 言われなくても分かってるよ!」
椅子に座ったまま自分の膝に顔を埋め、虎徹は小さく背を丸めた。
「うう……」
バーナビーに触れられた頬の感触を皮切りに、一気に夢の中の感覚が蘇った気がした。
抱きしめる腕の強さ、肌を這う手の平の感触、汗を舐める舌の動き、煽る声、探る指先、そして内臓を掻き混ぜるように入り込んできた楔の圧迫感。
蘇った火照りに顔だけじゃなく全身が真っ赤に染まった気がした。
胸に手を当てれば全力疾走した後のように鼓動が早い。
あまりにも生々しい夢の残滓が、まだ全身にはっきりと残っている。
別に、情事の感触だけならそう、驚くことはないのだ。
実際に公私共にパートナーとなったバーナビーとは何度となく身体を重ねているし、SEXの相手としてまず浮かぶのも今では女性ではなく、同じ性をもつバーナビーの顔だったりする。
浮気性ではないから、当然お互いに相手は一人きり。
そこに第三者が交ざることはない。ないというに、何だってよりにもよって自分と同じ姿形をしたアンドロイド相手にああも夢の中の自分は乱されたのか。
(欲求不満かよ)
一瞬頭に浮かんだ思いは即座に打ち消す。
年下のバディは夜もKOHに恥じない絶倫ぶりで、夜ごと相手をさせられる虎徹には少々ツライくらいだ。その上、知的好奇心も旺盛で日々、新たな試みを試すことに余念がない。
欲求不満どころか搾り取られて枯れそうな勢いだ。
セックスレスでもマンネリになったわけでもないのに、三人目とか!
バーナビーとは違う肌の温度を思い出した瞬間、ぞくりと肌が粟立った。
「……はぁ……」
その感触を振り切りように溜息をつくと、ツッと指先で項をなぞられて虎徹は反射的に飛び跳ねた。
「うわっ!」
「職場でそんなに艶めかしい溜息をつかないで下さい。誘っているんですか?」
「っんなわけあるかっ!!」
背もたれに手をついて覆い被さってきたバーナビーを両手で押し返して、椅子から立ち上がる。距離を取って警戒するが、流石に公共の場でそれ以上手を出すつもりはないらしい。
「期待させるだけですか……」
口調ほど残念がっていない様子で一度髪を掻き上げると、バーナビーは入り口を指差した。
「目が覚めためたなら、丁度いい。行きますよ、虎徹さん。斎藤さんが呼んでいます」
「斎藤さん? ……約束なんてしてたか?」
「いえ、先程廊下で呼び止められまして。その時に時間が出来たらラボにきて欲しいと告げられました。何でも、見せたいものがあるとかで」
「見せたいもの……?」
まさかと、いやな汗が背中を伝う。
マーベリックとの戦いの後、アンドロイドは全て廃棄されたはずだ。そう、誰かが言っていた、―――…はず。
こんなことならバーナビーに任せっきりにするのではなく、きちんと事件の報告書をまとめておくんだった。
過去の自分に歯噛みし顔を青くする虎徹に構わず、背を向けたバーナビーは思い出したように振り返り、下を指差した。
正確には、虎徹の下半身を。
「ラボに行く前に、Restroomに行った方がいいですよ。何なら手伝いましょうか? それとも謝った方がいいですか?」
「は? 何、を……」
言っているんだ、と続けようとした虎徹は自分の下半身を目にして、声にならない絶叫を上げた。
細身のズボンを押し上げるようにして膨らんだソコを慌てて手で隠す。
「違っ、これは!」
「恥ずかしがらなくてもいいですよ。まだまだ足りなかったみたいですね。今夜から虎徹さんを満足させられるように全力で努力しますから、許して下さい」
にこやかな笑顔で不穏な宣言をするバディに虎徹の顔は蒼白を通り過ぎる。
「ちょ、待てよ、バニー、バニーちゃん!!」
死刑宣告にも等しい発言を受けて、慌てて先を行くバーナビーに追いすがる。
そして、斎藤の待つ地下のラボを訪れた二人は揃って息を呑んだ。
一人は感嘆の。
一人は、驚愕のそれを。
「すごいですね。これは、もしかして……」
「(そう、H‐01改さ。データクリーニングと外装の修正はすんでいる。良くできているんだろう)」
キヒッといつもの耳をそばだてないような小さな声で笑う斎藤を前に、じりっと虎徹は後じさる。
夢で見た姿と同じ、ワインレッドのシャツに黒灰色のベストを身につけた「H‐01改」は逃げ腰になった虎徹の手を取り、その甲に口づけると赤い眼を光らせて挑むように嗤って告げた。
「これからもよろしく、マイ・マスター?」
そして振り出しに戻る。